「商工とやま」H17年7月号
呉羽丘陵を語る -- その1 呉羽丘陵と私(財)富山市ファミリーパーク公社 園長・飼育課長 山本茂行氏
■呉羽丘陵概観 呉羽丘陵。 県南部に広がる射水丘陵から北東の方向に細長く突き出て、富山を東西に分けている。その西は呉西、東は呉東と呼ばれ、人の営みの境となってきた。 長さが約8km、幅は最大2km。南東側斜面は急だが、北西側はなだらかな斜面となり、梨畑が広がっている。 最高峰は主要地方道・富山高岡線南側の城山で145mある。その一帯324・5haが城山公園に指定されている。北側には高さ77mの呉羽山があり、呉羽山公園(114ha)となっている。 呉羽丘陵は、小さく、細長く、低い丘陵だ。しかし、自然、歴史、文化など、あらゆる面で富山を語る際、光を放つ地でもある。 ■呉羽丘陵と私 私は、呉羽丘陵のほぼ中央に位置する富山市ファミリーパークに勤務して21年になる。正確には、開園2年前の昭和57年からパークの計画と建設のために働き始めたので、呉羽丘陵に関わりだしてから23年になるわけだ。 ところで私の人生に影響を与えた3つの山塊がある。 一つは、子供時代の遊び場だった県西部の福岡町の西に広がる通称「西山」(宝達丘陵)。 二つは、私の生き方を変え、生涯を通じた趣味となった登山。その最高の舞台である北アルプスの山々である。 三つが、この呉羽丘陵だ。それは宝達丘陵や北アルプスを超えて、私にとって一番密着したフィールドとなった。私にとって、呉羽丘陵は、22年間通い続けたという以上に濃密な世界なのだ。 ・生涯の調査相手、タヌキと出会う 今から22年前のこと。測量中にタヌキの足跡を見つけた。調べてみると呉羽丘陵にタヌキの生息記録はなかった。タヌキという「先住民族」に敬意を表し、パークができても彼らの生活を脅かしたり、かく乱したりしないと私は誓った。そして、10年に及ぶ呉羽丘陵のタヌキの生態調査を行った。ほぼ毎日、丘陵を歩いた。目をつぶっても山中を歩けるほどタヌキの暮らしを追いかけた。枯れて幾重にも重なりあって倒れているモウソウチクに雪が被っているのが分らず、カンジキで踏み抜き、足が抜けず、暗闇で往生したことも懐かしい思い出である。呉羽丘陵は私に野生動物の調査の仕方を教えてくれた師なのだ。 ・ファミリーパークと反対運動 ファミリーパーク計画に対し、「呉羽丘陵に動物園はいらない」「自然保護のため、草1本、木1本切るな」と、建設反対の運動が起きた。私は、「自然と人が急激に離れていく現代、自然と人をつなぐ施設と活動が重要になる。それをパークで実現する」との思いをこの丘陵に込めた。そして歩んだ。呉羽丘陵は私に自然との向き合い方を教えてくれた。 ・市民活動の開始 人と自然をつなぐ動物園事業に、市民が参加する、ひいては、市民がつくる動物園づくりを日本で初めて開始したのもこの丘陵である。 長期間放置されたモウソウチク林は、雑木林を駆逐し、単一で貧相な生物相を作っていた。竹林には多様な生き物の姿はなかった。 賛同する市民とともに、市民いきものメイトを立ち上げ、その会員と、ファミリーパーク園内の竹を切り、復元した窯で焼き、竹炭にした。竹林跡には雑木を植えた。動物たちが住める森づくりを市民と開始した。今、全国で問題となっている里山の荒廃。それに市民が立ち上がった。呉羽丘陵に、市民が継続的な手入れを始めた。市民は楽しみながら手入れを続けた。呉羽丘陵は元気をくれた。 ・どきどきの初体験 里山再生の活動は、炭焼き、天蚕飼育、樵、お茶づくり、和紙づくりなど。どれをとってみても、私をふくめ、大半の人が初体験。 初めての体験は何でも人をどきどきさせる。より多くの体験が人を豊かにする。好奇心を満たしてくれる。人の輪を増やしてくれる。 そして、なによりも活動によって、森が変わっていく姿が見られる。 呉羽丘陵は面白さを与えてくれる。 ・美とやすらぎと感動と 炭を焼く。夜のとばりの中でパチパチと薪がはぜる。雪の日は、焚き火が暖かい。 一晩見守った炭焼きの窯に朝日が当たる。 日の出の美しさ。木洩れ日の世界。 呉羽丘陵は、私に美とやすらぎと感動をくれる。 ■お問い合わせ先 / (財)富山市ファミリーパーク公社 TEL076-434-1234 |