大鳥圭介 筆「松楓殿 」扁額 明治39年(1906年)
高峰博士のアメリカの別荘「松楓殿」に長らく掛けられていた扁額。
「明治三十九年/冬日為/高峰博士/従二位大鳥圭介書」とあり、大鳥圭介が譲吉の為に書いたことがわかる。大鳥は一説に松楓殿の名付け親ともいわれる。
松楓殿は1904年のセントルイス万博の日本館を譲吉が買い取り、翌年移築したもの。譲吉の日米親善の舞台となった。
大鳥は譲吉が工部大学校(現東大工学部)に在学中の1877〜78年に同校の校長になっているが、それ以外のつながりを示す資料は余りない。
しかし、この扁額により晩年に至るまで親交があったことが分かり、その資料的価値も高いといえる。
(高岡市教育委員会蔵)
- 【大鳥圭介】 1833〜1911
- 江戸末期〜明治初期の軍人、政治家、外交官。播磨国赤穂(現兵庫県上郡町)の医師の家に生まれ、緒方洪庵の適々斎塾を経て、江川太郎左衛門に師事。江川の推薦を得て幕臣となり、戊辰戦争では榎本武揚に従う。
明治政府出仕後は開拓使御用掛、工部大学長、学習院長、華族女学校長などを歴任。1889年特命全権公使として清国に渡り、日清戦争前夜の外交工作を画策。号は「如楓」(じょふう)。