富山市は20年8月2日の大空襲により市街地は全滅した。しかし市民は焼け跡から立ち上り、復興への意欲を燃やし、29年には「富山産業大博覧会」を開催。県内外からの入場者は百万人を超える大成功をおさめた。

しかし戦災により多くの文化財は消失し、神社の祭礼のほかには、特色のある伝統的な芸能行事がなかったので、四季それぞれの催事を企画。そして、“桜まつり”の目玉として「全国チンドン・コンクール」という、全国に例のない全く意表をついた、ユニークな観光行事が誕生した。商工会議所や商店街連盟などの熱意が実を結び、東京・名古屋・大阪を中心に、文字どおり東西から150余名が参加。

日本一を競うヒノキ舞台として、いろいろとアイデアをこらして登場。
20万人を超す沿道の市民の熱烈歓迎をうけ、笑いの渦となった!





チンドンマンの出場順は、公開抽せんで決められる。3人一組のチンドンマンは、持ち時間3分〜3分30秒でアイディア・扮装・口上・演技などを審査され、オーバタイムは減点される。

1回目の最優秀賞になった東京・喜楽家の人形ぶり「板割りの浅太郎」には驚きの目を見張った。背中におぶさった子供が本人で前の浅太郎が人形、その踊りしぐさはまさに天下一品の芸だった。

チンドンマンはつねに、世相やTVの人気番組などを敏感にキャッチし、タイムリーな演じものに苦心した。また、参加者の紹介を兼ねた《前夜祭》は、29回まで続き、公会堂は満員になった。







33年に、新東宝「新日本珍道中」のロケ隊が来富、宇津井健・船橋元らがパレードにからんだ。これがきっかけで、5回→11回まで、渡辺文雄・泉京子・近藤美恵子・瞳麗子・大泉晃ら、松竹・大映のスターたちが3人づつゲスト審査員に、パレードにも参加した。また5回→28回まで、全国の有名民謡踊りが特別参加、鹿踊・鬼剣舞・よさこい鳴子踊・花笠踊・佐渡おけさ・八木節など、特に四国の阿波踊は四度来演して人気をあつめた。

特に6回に、青い目にカミシモの米人チンドンマンが特別出演し、市民の歓迎をうけた。横須賀海軍基地の将校や軍属で、在日外人慈善団体のメンバー。TV「私の秘密」でも紹介された。

また英字新聞にも、
A "chindonya" japanese sandwichman contest として報された。






昔は、旗持ち三月、鉦三年ともいわれたが、13キロ前後の鉦と太鼓を胸にかかえて、長時間の路上演技は体力も必要、なによりも好きでなければやれない稼業。時代の流れとともに浮き沈み。宣伝媒体が多様化し、高齢化と後継者不足は、この業界もご同様。ここ10年は、スポンサーとの関連もあり、約20組にしぼられている。しかし最近は、そのレトロ調がウケ、日本独特のストリート・パフォーマンスとして、見直されてきたようだ。

一方、56年から「市民仮装コンクール」を併催。企業や市民グループ10数組が趣向をこらし、ユーモラスな演出やデコレーションに拍手が湧き、参加団体も次第に多くなってきている。

また、地元のサンバチームも誕生。自主製作の“光の街のサンバ”のリズムに乗って、若者から子供までが、陽気に踊りを繰り広げるようになった。
まつり本来の目的である“市民参加”の輪が、さらに大きく広がることを期待している。

とにもかくにも、全国に鳴り響いた《チンドン・コンクール》。人と人とのふれあいの街角に、郷愁のメロディーと笑いのうず!その素朴さに限りない拍手をおくり、いつまでも“チンドン”の続くことをねがってやまない。






鉦(かね)と太鼓がつているから“ちんどん”。




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