「商工とやま」平成18年1月号
新春特集 もっと知って、もっと広めよう。「昆布王国とやま」から情報発信! |
|||
■北前船交易が運んだ北海道の昆布 ◆富山の昆布消費は全国一 昆布のふるさとといえば利尻、羅臼、日高などに代表される北海道。しかしその昆布を最も多く購入し、食べているのは私たち富山県民です。 総務省の調べでは、勤労者一世帯あたりの年間昆布支出金額は、全国の都道府県所在地で富山市が断トツの1位。特に羅臼昆布や利尻昆布など、ブランド昆布と呼ばれる高級昆布の消費が多く、贅沢な使い方をしているのが特徴です。汁物や麺類のだしとしてだけでなく、昆布そのものを食べる料理も深く根づき、毎日の食卓に欠かせない食材となっています。 ◆江戸時代に始まる昆布の歴史 本来は昆布の採れない富山にこれほどまでに昆布が浸透している理由は何なのでしょうか? その一つに、江戸時代から明治時代にかけて、日本海側で発展した北前船の影響があります。江戸時代半ば以降、日本海沿岸でも商品経済が発達し、各地の産物の輸送は北前船と呼ばれる廻船で行われるようになりました。北前船は幾多の船主たちが船を運航させ、北海道から昆布やニシン、ニシン肥、サケ、マスなどの海産物を仕入れ、東北地方や富山、福井、大阪などの港に寄港して売った、いわば海の行商でした。その帰りに綿織物や米、菜種、酒、鍬などを積んで東北沿岸部や北海道で売るという交易をしていました。 富山では東岩瀬や伏木、水橋などが北前船の寄港地となり、北海道からニシン肥以外にも昆布や数の子、わかめなどがもたらされ、特に昆布は大量に購入され、富山全域で消費されていたようです。 ◆莫大な富を得た北前船主 特に文化文政年間(1804〜30)になると、農産物の肥料として北海道のニシン肥の需要が急激に増大したため、北前船交易が活発化。北海道でニシン肥を直接仕入れ、上方を中心に全国販売しました。当時は今ほど情報が行き届かず、物の値段も地域ごとに大きな差があったので、船頭に権限を与え「いち早く、より高く買う相手に優先的に売る」という地域間価格差を利用した取引で利益を上げたのです。 岩瀬では北前船を「バイ船」と呼んでいますが、往復で商売するから「バイ船」という説や「倍もうかったからバイ船」「売買したからバイ船」など諸説があります。 その利益は非常に大きなもので「千石船、一航海で千両稼ぐ」といわれたそうです。寄港地である東岩瀬では森家、馬場家、米田家、畠山家などの裕福な北前船主や廻船問屋が生まれ、その隆盛ぶりは公開されている森家の住宅(国指定重要文化財)から窺い知ることができます。 ■九州から琉球、中国へ伸びた昆布ロード ◆独自の食文化を生んだ昆布ロード 北前船で昆布が運ばれた経路は現在「昆布ロード」と呼ばれ、北前船の発展と共に昆布を食べる地域は広がり、九州、琉球まで伸びていきました。 新しい土地に昆布がもたらされると、そこに独自の昆布(食)文化が生まれました。大阪では昆布を醤油で煮てつくだ煮にしたり、沖縄では豚肉や野菜と一緒に料理したり…。全国的にみて、関東地方で昆布の消費が少ないのは、北前船による昆布ロードの到達が遅かったためだといわれています。 ◆昆布ロード発展の裏に越中売薬あり 富山の北前船発展の背景として、忘れてはならないものに越中売薬があります。富山の売薬は富山藩二代藩主・前田正甫公が江戸詰めの際、江戸城で腹痛を起こしたある大名に富山の和漢薬「反魂丹」を差出したところ、たちどころに回復、そこに居合わせた大名を通して全国に知れ渡った話は有名です。この和漢薬の原材料は当初、大阪の薬種問屋などを通じて仕入れていたのですが、幕末近くからは薩摩藩の密貿易によって大量に仕入れられていました。 当時、琉球王国の支配権をもっていた薩摩藩は、琉球経由で中国との間で輸出入を行っていましたが、藩財政の建て直し対策として昆布の中国への輸出を強化しようとしました。 この時に乗り出したのが富山の売薬商で、薩摩藩で売薬を営んでいた密田家などの薩摩組売薬商です。 ◆越中売薬が薩摩藩の財政を再建 海運史に詳しい富山大学の深井甚三教授は、北前船交易と越中売薬の関係を次のように分析しています。 「越中の和漢薬の材料となる主要な薬種は、中国からの輸入品に依存していました。当時は鎖国下にあったため、その窓口となっていた長崎の問屋が独占輸入販売をしていましたが、富山の売薬商人はもっと安く大量に仕入れられる方法を模索していました。ここに薩摩藩が絡んできたのです。琉球を通して中国がほしい北海道の昆布と、富山の薬種商がほしい中国の原材料。双方の利益が合致した取引だったわけです」。 薩摩藩はこの貿易によって厳しい藩財政を立て直し、後の倒幕、そして明治維新での表舞台に躍り出ましたが、その裏方を支えたのが密田家をはじめとする富山の売薬商人の存在だったわけです。そして密田家といえば、後の北陸銀行の創設者の一つ。富山の金融基盤をつくり上げた立役者は、昆布取引でも活躍した売薬商だったのです。 ■北海道開拓と富山の密接な結びつき ◆県東部住民が昆布漁の出稼ぎに もう一つ、富山と北海道を深く結びつけていたのが、富山から北海道への大勢の移住者です。 明治中ごろから、富山湾の沿岸部に住む人々は、漁業だけで安定収入を得ることが難しいため、北海道への本格的な出稼ぎを始めました。 彼らは沿岸漁業や昆布漁に従事し、現地の親方から「越中衆は働き者」と可愛がられました。 そして、その数は年々増えていき、そのうちに独立して住み着く人もでてきました。 北海道の開拓に富山県からの移住者が多くかかわったことは有名で、現在も釧路、根室、特に羅臼の人口の70%は富山県にゆかりのある人で占められているそうです。 移住者や出稼ぎ者は、富山に帰郷するたびにたくさんの昆布などをお土産に持ち帰り、正月休みには家族で昆布料理を囲みました。また、日々の家庭料理としても食べ、身近な食材として浸透していったのです。 ◆なくてはならない食材として定着 黒部市生地で昆布専門店「株式会社四十物こんぶ」を営む四十物直之さんも、先祖が北海道への開拓民として利尻島に出稼ぎに出ていたそうです。店には四十物さんの祖父が魚粕商会員だったことを記した水産庁発行の看板があり、昭和10年にはすでに全国を相手に手広く商いをし、戦後になると昆布加工所をつくり、とろろ昆布の製造を始めたそうです。 「私が子どもの頃も生地から船で出稼ぎに出かける人がいて、港に船を見送りにいった思い出があります。今でも北海道の各地に富山弁が残っているのも、こうした開拓民の歴史があるからなんですよ」(四十物直之さん)。 ■健康素材として熱い注目を集める昆布 ◆昆布はうま味の原点 昆布は煮たり、加工したりしてそのものを食べるほか、だしとしても重宝な食品です。明治41年、東京帝国大学(現:東京大学)の池田菊苗博士は、昆布のおいしさの元がアミノ酸の一種「グルタミン酸」であることを突き止め、その独特な味わいを「うま味」と名づけました。このうま味は人間の舌が感じる5基本味の一つとなり、今では世界の共通語「UMAMI」としても知られています。 昆布に含まれるグルタミン酸は、チーズやいわし、トマトなど栄養価の高い食材と比べても数倍多く、料理のおいしさを引き立てる名脇役となっています。 そのほかの成分をみても昆布は優等生。体に必要なミネラル成分や繊維質、カルシウムを多く含み、健康維持をサポートする食材として高く評価されています。 サプリメント業界では健康素材として注目しており、生活習慣病予防などのサプリメント商品として研究開発に取り組んでいます。 このように、昆布の成分はいいこと尽くめ。若さや健康を保つ食材としても注目されつつあります。 ◆富山オリジナルの昆布商品も さて、昆布は富山人の食生活に欠かせない料理ですが、昆布の加工法や食べ方には他の地域にはない特色が見られます。とろろ昆布やおぼろ昆布の加工、ニシンの昆布巻、昆布巻かまぼこ、刺身の昆布〆(じめ)、昆布のおにぎり等も珍しい使い方です。 最近では、昆布ナン、昆布クッキー、昆布入りパン、昆布カマボコなどなど新しい製品が開発されています。 「昆布酒もありますよ。昆布酒用の昆布をお酒に―日本酒でも焼酎でも―10分ぐらい入れてから飲むんですが、熱燗でも冷でも良し。お酒の味がまろやかになったと好評です。健康にも良いですよ。」(四十物直之さん)。 「昆布王国とやま」では昆布を使ったオリジナル商品や使われ方が今後ますます増えていきそうです。 ■富山で花開いた多彩な昆布料理 ◆刺身では味わえない旨み 昆布〆は新鮮な魚をまず刺身で食べ、残ったものをすぐに昆布でしめて水分をとるとともに昆布のうまみ成分を魚にしみ込ませることで、日持ちさせながら美味しく食べる…。冷蔵庫のない時代、昔の人が考え出した保存食だったようです。 「今では料亭でも出される富山自慢の郷土料理ですよ。北海道産の良質な昆布でしめた昆布〆は、魚のイノシン酸と昆布のグルタミン酸が溶け合い、刺身では味わえない旨みが感じられますね。最近は昆布で挟む素材もバラエティに富んで、うちでもいろいろ作っています」(四十物直之さん)。 昆布〆は、富山湾でとれる甘海老やヒラメ、イカ、フクラギ、サス(カジキマグロ)などでも作られているほか、山菜や野菜、牛肉、こんにゃく、豆腐などの昆布〆が開発されています。 ◆昆布〆研究会が発足 富山商工会議所では、こうした昆布〆のおいしさ、高い栄養価に着目し、昆布〆を富山ブランドとして全国に情報発信しようと平成17年8月「とやま昆布〆研究会」を発足しました。 研究会は平成17年10月末に開催された「食祭とやま2005」にも出店し、様々な昆布〆を発売したほか、富山県調理師会のメンバーが作ったこだわりのオリジナル昆布〆も紹介。昆布〆に関する情報交換やイベントの開催に積極的に取り組んでいます。 ◆昆布のとやまを全国に発信 また、富山経済同友会では、富山県から昆布情報を発信するため平成18年4月に、昆布にゆかりのある北海道や沖縄から関係者を招いて「とやま昆布祭り」を、開催する計画を進めています。 そこでは、それぞれの昆布文化を紹介して交流を深めるためシンポジウムや講演も企画しているそうです。 昆布王国・富山からの情報発信…。かつて江戸時代、越中とやまの薬売さんたちが全国を歩いて薬を広めたチャレンジ精神、あるいは戦前戦後、富山の漁師たちが北海道に渡って昆布漁に励んだパイオニア精神を今に呼び起こすような気概をもって、私たち富山県民一人ひとりが昆布を愛し、昆布の優れた食文化を全国に発信していきたいものです。
|