昨今、後継者や担い手不足によって、あらゆる業界で、長年にわたって受け継がれてきた独自の技術・技能・知識の継承が難しくなっています。そんな中、県内では平成8年に職藝学院(設立時は富山国際職藝学院)が開校しました。全国的にも珍しい大工・家具・建具および造園・園藝のプロ(職藝人)の養成を目的に、これまでに多くの人材を輩出しています。今回は、独自の教育と理念で貴重な人材を養成し、地域社会に貢献する職藝学院の取り組みについてご紹介します。
伝統的な匠技を意味する「職」と、職人の心や新たな感覚を意味する「藝」を結びつけた「職藝人」の育成を目指す職藝学院は、実習を主としたカリキュラムで伝統的建造物の修復や岩瀬の町並み整備なども行い、その実績は業界のみならず多方面からも注目を集めています。職藝学院の母体である学校法人富山国際職藝学園の稲葉實理事長と、職藝学院の副学院長で教授・職藝基礎研究センター主任研究員の池嵜助成さんにお話を伺いました。
ご自身も建築家として第一線でご活躍の稲葉理事長は、学校の設立に至った建築業界の危機感について次のように振り返ります。
「かつて、私たち設計者がイメージだけの設計をしても、その表面を支えるには裏側にどんな支えが必要かということを知っている優れた職人さんたちがいました。ところが、ある時期から急に、そういう職人さんがいなくなりました。それは、標準賃金化や仕事の画一化、効率化等の問題もあったと思います。できる人もそうではない人も同じ日当にしてしまったことや、また、マニュアルに沿えば誰でも早く仕上げられるようにしていったことで、仕事としての魅力がなくなったのでしょう。私たちが頼りにし、ものづくりをしていく上で大切な存在である職人さんがいなくなったことに対する大きな不安感があったのです。
また、昭和63年頃、国のウッドタウンプロジェクトに関わり、池嵜副学院長をはじめ数人の仲間たちと勉強会を開いていました。さらに、富山国際大学の立ち上げにも深く関わっていたことなどから、これからは知識ばかりでなく、手仕事のプロ、ものづくりのプロを育成する教育機関がぜひ必要であると考えました。そこで、仲間をはじめ多くの方に呼びかけ、学校の設立に向けて動き出したのです」。
稲葉理事長を中心に、構想から開校準備において多くの困難を乗り越えながら、県内外の建設業界・造園業界等各界300社の支援と熱い期待を担って、職藝学院は平成8年4月に開校しました。稲葉理事長の発案から約10年の月日が経っていました。
池嵜副学院長は開校当時の情勢について次のように振り返ります。「大工や庭師と言えば、昭和30年代頃までは徒弟制度での人材育成が主でした。その後は、労働省管轄の職業訓練校などが主な教育の場となっていました。そんな中にあって、職藝学院は文部科学省が認可した全国初の大工や庭師などの職人を養成するユニークな学校として、一気に注目を集めることになりました」。 建築職藝科と、環境職藝科の2つの科があり、建築職藝科には、建築大工・家具大工・建具大工の3つのコース。また、環境職藝科には、造園師コースと、園藝師(園芸師)ガーデニングコースが設置されました。
『いかなる人生、いかなる行い、いかなる芸術にも、先立つべきは手仕事である。』というゲーテの言葉があります。環境問題や地球資源の有限性がはっきりしてきた今日、機械やコンピュータに際限なく依存するのではなく、まずは手仕事を大事にするのが職藝学院の目指すところ。とかく忘れがちな人間の行動限界を見直す視点となる言葉として、『不易流行』とともに職藝学院の教育の基本理念を表しています。
職藝学院の教育の特長は、まず第一に、現役のプロ(職藝マイスター)が指導にあたるという点にあります。それぞれの分野で、いずれも名人級のプロたちが教授陣に名を連ね、実践的な授業が行われています。そこでは、先生と学生という関係だけでなく、むしろ先輩職藝人と学生という関係が築かれていきます。日々の授業が職藝人としての姿勢やこころを学ぶ場にもなっているのです。
「人間関係が成立してこそ、技術が伝わっていく。こころが通わないと難しい」と、稲葉理事長は語ります。その言葉通り、取材にうかがったのは8月中旬。本来ならば夏休み中ですが、島崎棟梁のもとで、学生たちは熱心に課題に取り組んでいました。
職藝学院では、実習が授業全体の約60%を占めています。校内外の実際の木造建築や庭づくりなどを教材として、学生たちは職藝マイスターの指導のもとで施工・製作しながら実践的に学びます。また、建築職藝科、環境職藝科ともに、日本の伝統的な技術の修得を目指しています。建築職藝科では、大工道具の使い方や木組みなどの基礎的工作から始まり、各専攻コース別に、命を保ち続ける無垢の木材による木造建築づくり、木製建具・家具づくりを通して、日本人の知恵と工夫に溢れる民家の伝統構法や社寺建築の技と業を学びます。環境職藝科では、造園道具の使い方や植栽・花卉樹木管理の基本技能の実習から始まり、専攻コース別に実際の住宅庭園やガーデンづくりなどを通して、先人の知恵と美意識に溢れる日本庭園の伝統技法や花のガーデンづくりの技などを学んでいます。
これまでに、木造建築の新築・解体・再生、日本庭園やガーデンづくり、文化財の保存修復、地域の環境整備やまちづくり事業への協力など、多くの実物の実習教材が完成しています。人材育成はもちろんのこと、地域貢献においても、その取り組みは高い評価を得ています。今では、日本各地から職藝学院に多くの依頼が寄せられるようになっています。平成19年には日本建築学会の教育賞を受賞しています。
職藝学院では、建築職藝科と環境職藝科の学生が、お互いの専門分野を学ぶ共通のカリキュラムがあります。「庭がわかる大工。大工のことがわかる庭師が必要であり、本来はお互いに不可分の関係」と話す稲葉理事長。それぞれの領域の垣根を越えて、ひとつの生活空間について互いに学び合う、他にはない特徴的なプログラムと環境は、学生たちにとって、卒業後も大きな力となっていくはずです。
また、このことは、教える立場である教授陣にとっても、とてもいい勉強の場になっていると池嵜副学院長は語ります。
「建築でも庭づくりでも、設計図で百パーセント表現することはできません。実際の現場では、設計図に書かれていない多くの部分を職人さんたちがサポートしているわけです。この学校でお互いに横でやっていることを見聞きすることで、学び合えることは非常に多いですね。そして、生身の木材を削ったり、石に触れることによって、木の癖がわかったり、石の目をよんで重ねたり、といった基礎的な技術を修得することが実はとても大切です。木も1本1本が違うということや、石の表情の違いを肌で感じ学びとることが重要なのです」。
設立当初は富山県内からの入学者が6〜7割を占めていましたが、最近では約5割。県外出身者が上回ることもあります。また、新卒での入学者は約6割、それ以外が約4割となっています。なかには、オーストラリアから日本の建具を学びに来日した50代の方や、長年の夢を実現しようと入学した年配の方もいます。入学時にはペーパーテストもありますが、もっとも重要視される合格基準は、大工や庭師になりたいという意志がどのくらいあるか、ということ。
「とりあえず建築を勉強したいからという人は、もうちょっと考えてください」と、許可を与えない方針と話す池嵜副学院長。現在、約80人の学生たちが、プロを目指して日々学んでいます。
ですから、卒業後の進路については、会社の規模や給料よりも、やりたい仕事を第一条件に就職先を選ぶ学生が多く、ほとんどが「実際に手仕事ができる職場」を選んでいます。岩瀬の町並み整備事業の建物を手がけているのも、職藝学院の卒業生です。
稲葉理事長は「家づくりは村づくりから。村づくりは、人づくりから。人づくりは、土づくりからという考え方のもと、土に根ざすことの大切さを、ここを拠点として訴えていきたい」という思いからNPO法人里山クラブを立ち上げ、富山市池多開ヶ丘台地に「田園住宅開ヶ丘」を開発。四季折々の豊かな自然環境と菜園づくりなどを楽しめる、真に豊かでゆとりある暮らしと自然との共生・環境保全を目指す新たな事業に取り組んでいます。
「田園住宅開ヶ丘」は、「健康」「環境」「景観」「地域交流」の4つのコンセプトのもと、全27区画のゆとりある宅地を中心に、いつまでも住み続けたくなる美しい集落づくりを目指しています。
開ヶ丘には現在3戸の農家があり、今後27戸が入植して合計30戸の集落となります。その一角に職藝学院の開ヶ丘キャンパスを設けることにより、ひとつの集落そのものを教材として、住居の建設や造園、建物のメンテナンスなどに長期間にわたって職藝学院がかかわっていくことができます。それによって、これまでの実習にはなかった、より系統だった学びが可能となります。開ヶ丘の景観保全、地域づくりに職藝学院が継続的に貢献し、周辺の既存集落の人たちと交流、連携しながら、地域の輪、人の輪を広げていくことが期待されています。
稲葉理事長は未来に向けて次のような展望を語ります。
「これまでの、消費こそ成長を支えるという流れの、少し行き過ぎたところにブレーキをかけ、それとは違った提案をしていきたい。パソコンによるバャーチャルな世界はではなく、地に足のついた社会に戻っていけるような仕掛けづくりをしていきたいのです。大工や庭師などの手仕事の良さを伝えることや、土づくりなどもその一つです。かつての時代には戻れないにしても、開ヶ丘のような集落づくりは、これからの社会にとって大きなテーマになるのではないかと思います」。
これまで、各地で様々なものづくり学校の構想が打ち上げられたなかでも、職藝学院の総合的教育プログラムはめざましい成果をあげてきました。第一線のプロのもとで、さまざまな建物の新築・解体・移築・修復を実践的に学ぶことで、先人の技術や知恵を学んできた学生たち。彼らは有形無形の多くの財産を受け継ぎ、卒業生たちはいま、地域で重要な役割を果たそうとしています。
後継者や優秀な技能者の育成、そして地域の財産である伝統文化の継承において、様々な形で貢献する職藝学院。今後も、開ヶ丘キャンパスなどでの実践を通して、一過性ではなく継続的に地域と文化を創り守ろうとする取り組みが進められていきます。厳しい時代だからこそ、長期的な広い視野に立ち、地域社会に貢献していこうとするその姿勢に、希望と大きな可能性を感じます。
当所は、ものづくり県として富山がさらに飛躍するよう、全国に向けて情報発信するとともに、高専や大学と連携した「ものづくり」人材の育成や熟練技術者の技術伝承(後継者育成)など、地元中小・小規模企業の具体的な支援に取り組んでいきます。