会報「商工とやま」平成22年5月号

特集1
先人達の努力と、地域が育んでくれた百三十年の歴史に感謝
〜会員の皆さまへのメッセージ〜 会頭 犬島伸一郎


 日頃、皆様方には商工会議所活動にご理解とご協力をいただいておりますことに、先ずもって御礼を申し上げます。

 先のバンクーバーオリンピックでは、当所の会員でもあるダイチ(株)の田畑選手と穂積選手が銀メダルという大変な快挙を成し遂げられ、心からお祝いを申し上げます。これにより、富山の中小企業の心意気を全国に示されたと思います。


敗戦で折り返し、ゼロから復興した百三十年の歴史


 さて、当所は明治十三年(一八八〇年)六月二十二日に発足し、今年で創立百三十周年を迎えます。百三十年の半分にあたる六十五年目(一九四五年)には、戦争で負けてゼロになりました。ちょうどその折り返しで今日があるわけです。

 明治十年に西南戦争が起こっているので、発足した明治十三年は恐らく大変な時期だったのではないかと思います。というのも、江戸時代の日本は農民と武士だけのような国で、それが一挙に近代工業国家を目指して急な改革を行っている最中でした。まして、当時の世界情勢は植民地主義で、油断するといつ日本も欧米諸国の植民地になるかもしれないという大変な危機感の中にありました。このような状況と相俟って明治新政府が富国強兵と殖産興業を推し進めていく中で、この富山の地で当商工会議所がスタートしたのです。

 そして昭和二十年に戦争で負け、世界列強の一角から何もないところまで戻され、それからわずか二十年ほど後の昭和四十三年に日本は世界第二位の経済大国になりました。我々の先輩達が額に汗をして積み重ねた知恵と努力の結果で、本当に凄いことだと思います。しかしながら一九九〇年にバブルが崩壊した後の二十年間は、ずっと自信を喪失した状態の中で、何とか世界第二位を維持してきました。しかし、今年は恐らく第三位に転じるでしょう。



どこかおかしい日本の国力


 今、日本の経済や政治はどうなっているのかと言えば、昨年に政権交代したものの、依然として混迷が続いたままで少しも明るさが見えません。

 また、日本航空が破綻し、トヨタ自動車がアメリカで大変な事態に見舞われ、日の丸を先導するものは段々おかしくなっています。そして、先のバンクーバーオリンピックでは、隣国の韓国や中国は沢山の金メダルを取っていましたが、日本は一個も取れませんでした。また、ワールドカップを目前に控えているサッカーも勝てなくなっています。スポーツだけではなく囲碁の世界でも同じです。そして、とても元気が良いのは中国企業をはじめ、サムスン電子やヒュンダイ自動車等、韓国の企業です。日本はトータルの国力や国民意識がおかしくなっているのではないか、と懸念しています。



戦後の恵まれた環境も、今は正反対に作用


 日本は努力によって非常な勢いで世界第二位までに昇りつめた訳ですが、これには種々の要因が相関して日本にとっては非常に恵まれた環境であったと思います。

 これらの要因についてお話ししますと、一つは国防を自分でやらなくても良かったので、お金や人材など全てのものを経済の分野へ集中投資することができたこと。朝鮮、ベトナム、アフガン、中近東等で頻繁に争いがありましたが、日本はそれらの戦争に加わらずにすみ、工業力をつけるには非常に恵まれた環境にあったということです。

 二つ目は、人口が依然として増加し続けた時代であったこと。加えて、農村から都市へ優秀で低廉な労働力が供給できたこと。

 三つ目は、隣国の中国が冷戦下において隔離状態にあり、我々日本のマーケットに長らく入ってこなかったこと。つまり、中国が隔離された状況の中での経済競争だったので、日本にとっては大変都合のいい環境が揃っていたと言えるかも知れません。

 それが、今はこれらのことが正反対に作用しているのではないでしょうか。一つは、自分で自分の国を守れないという情けなさがいろいろな面で歪みをもたらしていること。アメリカの言うことを聞かなければいけなかったり、隣りの国が理不尽なことをしても意見も言えない状況です。

 二つ目は、二〇〇五年頃から日本の人口が減少に転じており、少子高齢化の問題が大きくクローズアップされてきたこと。しかも、ブリックス(BRICs)と言われるブラジルやロシア、インド、中国の国々が、安い労働力と技術であっという間に追いつき、我々のフィールドに入り込んできているということです。

 三つ目は、日本は少子高齢化に悩んでいますが、世界の人口は増え続けていること。世界の人口は一九〇〇年には二十億人しかいませんでしたが、一九六〇年には三十億人、二〇〇〇年には六十億人に膨れ上がり、恐らく今は六十七〜六十八 億人もの人々がいるのです。それだけの衣・食・住が必要になりますが、日本には人と水を除くと資源は殆どありません。この欠如した部分がいずれ何かの機会を捉えて噴き上がってくるのではないか、と多少とも危惧される所です。


活路を見出すヒントはある


 そういう中で、今年は恐らく「ジャパン・アズ・ナンバー3」になりますが、我々はどこを目指すべきなのでしょうか。私もよく分かりません。但し、日本の過去からの経緯や周囲の環境を見渡すと必ずヒントはあると思います。

 例えば、一つは新しい技術です。大企業はもちろんのこと、中小企業と言えども、この研究を怠ってはなりません。世の中を変える新しいものは、どん底の時にこそ生まれるとも言います。

 二つ目は、少子高齢化でシルバー(老人)マーケットをどう捉えていくか。従来は若い人達を中心にしたマーケティングを繰り返してきましたが、今は二十二%以上を占める六十五歳以上のシルバー層の人達をターゲットにすることを意識して考えるべきではないかと思っています。

 三つ目は、勃興しつつある東南アジアマーケットに目を向けて行かざるを得ないのではないか、ということです。


忍耐と努力が運を開く


 日本は、困難辛苦に遭遇したときに一致団結でき、結構、運が開けるという歴史があるような気がします。

 戦前も戦後も、大変な危機感と努力でもって克服してきました。困難を乗り切るための危機感と努力とが本当にあるときには、あの蒙古襲来の時のように神風が吹くのではないか。また日露戦争の時のような運も開けるのではないか。

 残念ながら、自力では難しいかもしれませんが、他の国との比較や兼ね合いから他動的に神風は吹き始めるのではないでしょうか。だから、一所懸命努力すれば神風は吹く、運も開けると信じています。

 それまでは忍耐と努力を惜しまないで頑張り続けなければならないと思っています。


感謝の思いでお手伝い


 当所が創立百三十周年を迎えるということは、百三十年も中小企業の皆様と一緒に歩んできたということでもあります。先人達の努力に対する感謝と、我々を育んでくれた地域に対する感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。そして、中小企業を含め、弱者に対するいたわりや共存共栄の気持ちを大切にしていきたいと思っています。

 当所は、中小企業の皆様のお手伝いができるように意見をよく聞いて、親身になって相談にのり、皆様の声をまとめて県や市の施策に活かせるように繋げ、これからも地域の発展にお役に立てるよう活動してまいります。

 そういったことも含めまして、会員や議員の皆様方の一層のご理解とご協力をお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。



▼機関紙「商工とやま」TOP