日本人の食卓に欠かせない豆腐。今年の猛暑を、さっぱりとした冷や奴や豆腐料理で乗り切った方も多いのではないでしょうか。手軽で栄養価の高い食品として長年親しまれてきた豆腐。最近では健康増進など体調を整える効果を持つ機能性食品としても注目されています。いま豆腐業界にはどんな課題があり、将来へ向けた動きがあるのでしょうか。
今回は、昨年創立60周年を迎えた富山県豆富商工組合理事長の齊藤靖弘氏と、専務理事の北坂正三氏に同組合の取り組みについてお話を伺いました。
富山県豆富商工業の成り立ち
富山県豆富商工組合の前身となる富山県豆富商工業協同組合は、昭和22年(1947)に設立されました。大正時代から同業組織はありましたが、戦後の統制経済が終了した後、業界の安定と改善、組合員の事業合理化を図るために設立されました。以来、原料の大豆購入をはじめとする共同事業などが行われています。
その後、昭和24年(1949)に中小企業等協同組合法が制定され、この年が現在の組合の正式な設立年となっています。昭和44年(1969)には豆腐製造業が「中小企業近代化促進法」に基づく業種指定を受けたことから業界の近代化に取り組み、昭和45年に富山県豆富商工協同組合を改組し、現在の富山県豆富商工組合となりました。
町内に必ずあった豆腐屋さん
豆腐屋さんといえば、かつては町内に必ず1軒はあったもの。子供の頃は鍋などを持って近所のお店に豆腐を買いに行った方も多いのではないでしょうか。以前は千軒以上あったという同組合に所属していた豆腐屋さんも、いまでは10分の1ほど、90軒あまりに減少しています。
「昔は各町内には、八百屋、魚屋、豆腐屋が必ず1軒はあったものです。しかし、豆腐もパック詰め包装になったり、車社会になると同時に郊外にスーパーがたくさんでき始めたり、豆腐業界は大きく変化していきました」と振り返る北坂専務理事。
現在では、スーパーなどの量販店に納入している組合員は全体の約2割から3割。その他は、学校給食・病院・老人ホーム・飲食店・会社などの業務用の販売、そして、店先での小売り販売を中心にするお店など、小規模の事業者が多くなっています。
自分たちで作り、自分たちで売る
齊藤理事長は、全国豆腐油揚商工組合連合会(全豆連)の副会長も務めています。スーパーなどでは激しい価格競争のもと、かなり安く売られている豆腐。適正な販売価格の維持や、変化する消費者のニーズに合った販売方法、新しい食ベ方を提案して需要を創り出せるような新商品開発の必要性など、富山の豆腐業界が抱える課題は、県内だけにとどまらず、全国的にみても同じだと言います。
「これからはやはり原点に立ち返り、自分たちで作ったものを、自分たちで売るということが大事だと考えています。そのためには、店独自の個性あふれるオンリーワンの商品づくりに努め、販売や宣伝にも力を入れていきたいものですね。組合員も職人として日々の豆腐づくりだけで満足するのではなく、もっと、見聞を広めて勉強し、新しい食生活を消費者の皆さんに提案できるようになっていかないといけない」と齊藤理事長は力を込めます。
最近富山で新規に開業した豆腐屋さんは5軒ほどあり、すべて直接販売の小売りのお店です。北坂専務理事は、「店独自の商品の開発などにチャレンジしている若い人も多く、組合としてもバックアップしていきたい」と語ります。
富山とうふ祭りで、アピール
10月2日は「とうふの日」。この日にあわせ、組合では富山市中央通りのてるてる亭ほくほく通りで、「富山とうふ祭り」を開催しました。これは本来の手作り豆腐のおいしさや多彩な商品を、もっと一般の人に味わってもらおうと開かれたものです。
当日は、つくりたての豆腐・揚げたて油揚げの無料試食や、豆腐づくりの無料体験教室。また、県下のおいしい豆腐と大豆製品の紹介、創作豆腐の紹介、豆腐づくり道具の今昔、地酒とつまみに合う豆腐料理の試食など、様々な催しが行われ、多くの人で賑わいました。
齊藤理事長の言葉にあるように、経営者自らが販売・宣伝方法、商品開発を創意工夫していくためのきっかけとなる大切なイベントでもありました。
富山の豆腐はおいしい
齊藤理事長は、富山の豆腐は、全国的にみてもそのおいしさは折り紙付きだと語ります。
「私は全国のいろんなところで豆腐を食べてきましたが、富山の豆腐は日本一だと思っています。やはり、水がいいですし、原料の県産大豆のエンレイやオオツルといった素晴らしい素材があります。東京や大阪に富山の豆腐を持っていくと、皆さんおいしいとびっくりされるんですよ。関東などのイベントでもあっという間に売り切れるほどです」
北坂専務理事も、「富山には素晴らしい素材があり、地域では本来のおいしい豆腐が作られています。多少高くてもいいものが売れるということが、その地域の食文化の高さを表していると思います。安さだけを追い求めていると、大切なものを無くしてしまうことにもなりかねません」と危惧し、地元富山の皆さんに本来の富山の豆腐のおいしさを、もっと楽しんでいただきたい、と語ります。
齊藤理事長によると、京都の若い消費者でも、例えば安い豆腐はみそ汁に、冷や奴には多少高くてもいい豆腐を買うという使い分けをしている人もいるのだとか。安さばかりを追い求めず、少し工夫することで、日々の食卓はもっと豊かなものになるのではないでしょうか。
深層水にがりを使った「富山そだち」
また、組合ではこのほど、入善の深層水のにがりを使った、「富山そだち」という新しい商品を開発しました。富山の水とにがり、富山の大豆でつくられたミネラル豊富な豆腐です。今後は、県内の豆腐屋で製造し販売していきたいとのことです。
豆腐づくりの難しさ
現在スーパーで販売されている豆腐のほとんどは充填豆腐です。作り方は豆乳をパックに入れてにがりを混ぜ込み、密閉してボイル槽で100度くらいのお湯に通すと1時間ほどで固まります。それをクール槽で冷やして完成となります。難しい技術が必要なく、簡単に大量生産することができます。
実はこの充填豆腐は、富山が発祥の地だとか。齊藤理事長が豆乳製造からヒントを得て製造したのが始まりで、これが全国に広まっていったそうです。しかし、齊藤理事長自身は現在では大量生産の豆腐づくりは手がけておらず、手作りの良さを生かした、様々な豆腐や大豆製品を開発・販売しています。
一方で、本来の豆腐は、豆乳ができて70度くらいになったところでにがりを入れて固めます。このにがりを入れてかきまぜ、きれいに固めるための櫂さばきは大変難しく、14年修行しないと櫂は渡さないと言ったものだそうです。
「まさに一瞬の勝負で、何十年やっても本当に難しいものです。豆腐屋は皆、早朝3時・4時から、人が動き出す前に仕事をしているんですが、気温や水温など条件が毎日違いますし、集中しないとできません。雑念や雑音が入るとうまくいかないものなんです」と話す齊藤理事長。
「豆腐屋さんの技術は奥が深く、皆が朝早くから夜遅くまで苦労をして製造しています。簡単に思われがちな仕事ですが、実はとても大変なんですよ」と北坂専務理事もその苦労を語ります。
豆腐は鮮度がいのち
「豆腐はやはり鮮度が決め手です。つくりたては香りも良く、味わいが全然違います」と口を揃えるお二人。
出来立ての豆腐を水に浸すのは、豆のなかの臭味を取るためで、これによって甘みだけが残り、食感も良くおいしい豆腐になるのだそうです。
「最近はあまり言わなくなりましたが、本来、豆腐は生豆腐と言ったものです。豆の生きた味がする新鮮な豆腐だから生豆腐なのです。生豆腐のおいしさを、皆さんにもっと味わってほしいですね」
カナダでの農地視察
日本の豆腐づくりの原料は国産だけではまかなえず、その多くはアメリカやカナダなどから輸入しています。日本の大豆需要は全体で500万トン。一番多いのが搾油用で400万トン弱。豆腐・味噌・醤油などの食用に100万トン、その他、飼料用に使用されています。それに対して、国産大豆の生産量は25万トンで、わずか5%の自給率です。国では国産大豆を10年後には60万トンに増やそうと計画しています。また、近年は中国での需要が急激に伸び、相場に大きな影響を及ぼしているという問題もあります。
齊藤理事長は、全豆連の副会長としてカナダの大豆生産地を訪問し、現地の広大な農場や化学肥料や農薬をなるべく使わない農法、また、大学などの研究機関と、政府、農家が一体となった取り組みを視察し、日本の現状との違いに大きな感銘を受けたとか。また、カナダの食品大豆は日本の要請に応えるかたちで、約206項目もの残留農薬テストの証明がつけられているそうです。
「カナダの農薬使用量は日本の20分の1ですが、膨大な費用をかけて日本の消費者のためにテストをしてくれています。そして、日本のように縦割り行政ではないため、コストの無駄がなく農家も国の手厚い支援を受けることができているのです。もちろん、広大な農地があることも第一ですが、すべてにおいて無駄のない効率のいい仕組みがあり、親子で農業経営を十分にやっていける環境があるんです。一方で、日本の農家は経営が成り立たず、高齢化による担い手不足で、もう限界にきています。自給率を高めようとしていますが難しいという現状もあるのです」
豆腐の歴史
豆腐発祥の地は、中国とされています。その起源は、西暦の紀元前2世紀、前漢の淮南王・劉安の創作にあるという説がありますが、定かではありません。ただ、少なくとも唐の時代中期頃には、豆腐はつくられていたとされています。発祥の地とされる安徽省淮南市では、劉安の誕生日9月15日を「豆腐の日」、すなわち豆腐文化節と定め、豆腐文化節祭りが盛大に開催されています。
また、日本には、奈良時代に中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたそうです。当初は、寺院の僧侶等の間で、次いで精進料理の普及等にともない貴族社会や武家社会に伝わりました。室町時代になって製造が奈良から京都へと伝わり、やがて全国へと広がっていきました。
そして、本格的に、庶民の食べ物として取り入れられるようになったのは、江戸時代になってからです。天明2年(1782)に豆腐料理が記された「豆腐百珍」が刊行され爆発的な人気となりました。その後、豆腐は日本全国に広まり、現代の私たちの食卓になくてはならない食品となっています。
豆腐の漢字の意味
中国での豆腐の「腐」の意味・語源は、「液状のものが寄り集まって固形状になった柔らかいもの」、「液体でもなく固体でもないようなもの」を指すのだそうです。日本では腐るという意味になってしまうため、組合では設立当初から全国の組合に先駆けて、また、富山の地にちなんで「豆富」と表記しています。
機能性食品としての効用
豆腐の原料として使われる大豆は畑のお肉とも言われ、良質なタンパク質や脂質、その他ミネラルやビタミンなどが多く含まれています。また、大豆からとったタンパク質を固めて作る豆腐は極めて消化吸収率が高く、92%から98%は消化吸収されるそうです。
豆腐のタンパク質は血圧・コレステロールを下げ、レシチン・コリンは脂肪代謝、脳の老化予防、サポニンは活性酸素の抑制、大豆イソフラボンは乳がん、動脈硬化の予防効果があるとされています。また、豆腐に含まれるミネラルやビタミンから、豆腐は体を調節等して健康を維持増進させる「機能性食品」としても注目されています。その効用について、次々と科学的に解明されつつあり、多くの報告があります。
お肉の替わりとなる健康食品、ダイエット食品としても注目され、いまや海外でも人気となった豆腐。中国から伝わり、日本独自の食文化の一つへと発展してきた優れた食品を、もう一度見直したいものです。
本当においしいものを
大量生産された安いものをお腹いっぱい食べるのではなく、これからは多少高くても本当においしいものを食べてほしいと話すお二人。
「作り手から考えても、また消費者にとっても、それが安心・安全につながるのだと思います。安いものにはそれなりの理由があることを知っていただき、日本の食文化・富山の食文化を皆で大事にしていけたらと思います。そのためにも、私たちはもっと皆さんに豆腐の本来の良さを伝え、気軽にいろんな料理や食感で食べていただけることをお伝えしていきたいと考えています」
ご近所で営業している昔ながらの豆腐屋さん、そして新しく店を開いた意欲的な小売店に出掛けて、そのお店でしか味わえない出来立ての新鮮な豆腐のおいしさを味わい、製造法や材料など、様々に工夫されたオリジナル商品を購入してみませんか。
日本の大切な食文化として、豆腐本来の豆の味と香りがする出来立ての旨さを、ぜひ味わってみて下さい。
富山県豆富商工組合
〒930-0821 富山県富山市飯野2-3
TEL:076-451-4312 FAX:076-451-4344
URL