地元富山にいながらにして世界各国のお料理が食べられる時代ですが、なかでも上質な西洋料理・フランス料理を味わえるお店が富山にはたくさんあります。今回は北陸のフランス料理店の草分けで、社団法人全日本司厨士協会富山県本部会長でレストラン小西オーナーシェフの小西謙造氏に、同協会の活動や、富山ならではの食材や環境の良さ、さらに上手なフランス料理の楽しみ方、マナーなどについてお話を伺いました。
社団法人全日本司厨士協会とは
社団法人全日本司厨士協会は、厚生労働省の認可を受けた唯一の西洋料理の公益法人です。会員は全国に約12000人。そのうち富山県本部の会員は約160人で、県内のホテルやレストランの料理人など、フランス料理に携わる料理人が加盟しています。
協会では、西洋料理の普及向上と調理技術の改善のため、さまざまな活動を行っています。富山県では県立雄峰高校の専攻科調理師養成過程の講師を通年で務めるほか、これまでに料理教室での指導、グランドプラザでのアイスアートコンテストや、三ツ星シェフの料理講習会、海外での研修や料理実演、国内外での料理コンテストへの出場など、多彩な取り組みを行ってきました。
富山ほど、すばらしい環境と食材のあるところはない
フランスを中心に30年近く、料理修行のために毎年ヨーロッパを旅して食べ歩き、地元の人達とも交流してきたという小西氏。
「富山で生まれ育った方は、普段どのくらい贅沢な暮らしをしているのか、気づいてない方も多いのではないでしょうか。これほど日常生活のレベルが高いところは、世界中を見てもそんなには無いと思います。
食材だけを見ても、恵まれていますね。1000メートルもの深い海溝、『あいがめ』と呼ばれる深い海が沿岸のすぐそこまで迫り、水面近くから深海まで、魚の棲息域が広く種類も実に豊富です。さらに暖流と寒流がぶつかり、両方の魚が楽しめる。氷見の定置網漁などは、歴史の積み重ねの中で非常に発達した技術で、魚にあまりストレスをかけずに、傷まないような獲り方に工夫されています。抜群に鮮度のいい魚を、非常に安価で食べられることが普通ではない、ということを実感している富山県民は少ないかもしれませんね」
雪が多いこともデメリットばかりではなく、3000メートル級の山々から流れる水は夏でも涸れることがなく、良質な米を育んでくれます。水が良く、四季の変化がある富山。寒暖の差があることで、おいしいお米やリンゴなどの果樹、多様な食物の栽培にも適しています。
「アジアやロシアなどにも行きましたが、特別な人達ばかりでなく、誰もが比較的安価でおいしいものが手に入るという場所は、まず無いですね。ホタルイカ、シロエビ、岩ガキが獲れ、さらにフクラギ、ツバイソ、ブリ、ズワイガニ、タラと、一年中変化が楽しめます。そんな食材のすばらしさはもちろんですが、富山で一番の贅沢は、ゆっくり流れている時間ではないかとも思います。これからますます重要視されるところではないでしょうか」
世界に誇る、優れた富山のシェフたち
「富山県人は謙譲を美徳とするところがありますが、実は、世界料理オリンピックでの銀メダリストや銅メダリストが何人もいるなど、県内にはすばらしい技術を持った料理人がたくさんいます。富山のフレンチのレベルは、すごく高いんですよ」と話す小西氏。自身も昨年まで国際大会の審査員を務めていました。フレンチレストランの数も対人口比では全国的に見ても多いのだとか。
「やはり、富山の人の生活や文化レベルが高いことの表れではないかと思いますね」
地元の野菜や果物を極上のフレンチに
小西氏が協会の動きで最近特に面白く感じているのは、普段市場には出回らない富山県産の野菜や果物を、県内のホテルやフレンチレストランで使っていこうという取り組みです。協会では、富山県農林水産部農業技術課広域普及指導センター主催の富山県野菜会議や、生産農家見学会に参加・協力し、地元の生産農家とフレンチに適した野菜や果物の生産について情報交換を進めています。
「富山で季節ごとに生産されている新鮮な野菜や果物を、私たち料理人が率先して使っていこうという試みです。これまで、品質には問題がなくても、形など見た目の規格に合わないものは流通・商品化されていませんでした。品質が良いのに、出荷できずに畑や田んぼに戻してしまうのは、実にもったいないこと。そういったものも、私たちの調理技術で、いくらでも商品化できるはずです。これまでお金にならなかった野菜や果物を、私たちが少し安く購入し、良いものを使ってお客様に安く提供することができれば、農家の方も、お客様も、そして私たちにとってもメリットになるわけです」
例えば、完熟していない青や黄色いトマトはピクルスにするなど調理法はいくらでもあり、今後も農家の方とのコミュニケーションをもっと密に取っていきたいと語ります。
西洋野菜を富山でもっと作ってほしい
富山の農家は兼業農家が多く、ほとんどが米栽培で、野菜の作付面積はそんなに大きくありません。その小規模という特性を生かし、フランス料理でよく使う商品価値の高い野菜の栽培を提案しています。
「例えば、アンディーブ(チコリ)、エシャロット、キイチゴ、ポロネギなどは、高い輸入野菜を使わざるを得ないのですが、それらを富山で作ってもらいたいのです。地元のレストランがまとまって使うようになれば、農家の方にとって生産価値の高い商品になるのではないでしょうか」
これまでデザート用にわざわざ取り寄せていた、皮が薄くて丸ごと食べられるイチジクも、実は、富山で何人もの方が自分の好物として作っておられることを知り、とても驚いたという小西氏。お菓子作りに適した酸味のあるリンゴも、富山で手に入ることが分かりました。レストラン小西では、旧山田村で作られている、新品種のリンゴ「さんさ」「千秋」「秋映え」の3種類を使ったアップルパイを作っています。
農家の方と対話するうちに、お互いの思い込みや情報・知識不足を解消し、地元で新鮮なフレンチ食材が手に入るようにしたいと意気込みを語ります。
すでにいくつかは実際に商品化した野菜や果樹もあるとのことで、今後が楽しみです。
東京での料理修行
小西氏が現在地でレストラン小西を開業したのは日本大学を卒業したばかりの22歳のとき。「富山はもちろん、北陸でも本格的なフランス料理店は初めてだったのではないか」と振り返ります。
小西氏は富山高校を卒業後、大学入学と同時に、東京神田生まれで富山で洋食店を経営していた父親の後を継ぐつもりで、父親のつてで東京の丸の内ホテルでコック見習いとして働き始めました。
「幸か不幸か学生運動の時代だったため、大学は閉鎖していることが多く、他の仲間と同じように働いていましたから、仲間は私が大学生だとは思わなかったでしょうね」
そして、六本木にあった全日本司厨士協会のレストラン「ワールド」に移り、当時、日本のフレンチで一流とされた佐藤良造チーフのもとで伝統的なフランス料理を学びます。また、ヌーベルキュイジーヌの洗礼を受けた豊口忠男チーフのもとで新しいフレンチを学ぶ機会にも恵まれました。
「名人がたくさんいましたね。伝統的なものと現代的なもの、両方の料理を学ぶことができたことは、いまも私の大きな財産です」
その後、無事に大学を卒業し、帰郷。当時の富山での西洋料理の普及状況をよく知らないままに自身のレストランをオープンすることになるのです。
「ワインが酢っぱい、スパゲッティが赤くない」
「店を開いて驚いたのは『ワインが酸っぱい』とか、『スパゲッティがケチャップで炒められていない』とお叱りを受けたことでした。富山ではその当時、洋食と言えば、海老フライやハンバーグ、ハヤシライス、カレーライスなどが主で、フランス料理の楽しみ方やレストランの使い方を皆さんご存じなかったのだと思います」
決して高級な店を志向したわけではなく、東京の洋食屋さんぐらいのつもりで始めたそうですが、大きなカルチャーショックがあったと振り返ります。
「いきなりメインディッシュだけとか、前菜だけを注文されるため、せっかく富山の鮮度のいい魚を召し上がっていただこうと思っても、なかなかそれができませんでした。そこでしばらくしてから、どうしても注文が偏ってしまうアラカルトを止めて、おまかせの「定食」、つまりコースだけにしようと考えたわけです」
以来、レストラン小西ではフランス料理とワインの楽しみ方を40年以上にわたって丁寧に伝え続けてきました。そして多くの顧客に愛される店に成長し「これもすべて、理解のあるお客様のおかげ」と小西氏は感謝します。
文化を理解したマナーを
食事のマナーで、外国に行った時や海外のお客様と席を同じくする時に最も気をつけたいのが、スープなどは音を立てて飲まないことです。
「彼らは子供の頃からずっと訓練されてきていますから、音を立てることは最も嫌われます。その理由を知るには、彼らの文化を理解することが大事です。すすって食べる音は、ライオンや虎など肉食動物が小動物を食べるときの音だと考えられているんです。音を出さないようにするには、姿勢を良くして、スプーンを水平もしくは上から下へ流し込むような体勢をとれば大丈夫なんですよ」
また、気持ちよく食事をしていただくため、ちょっとしたことですが、ぜひ事前に予約を入れて欲しいと語ります。予約すれば、お店も準備に手間と時間をかけ、食材を無駄なく使うことができ、納得した仕事ができます。それがお客様にとっても大きなメリットになるのです。
可能性に満ちた富山
料理で一番大事なことは、お客様に喜んでいただくために、いかに努力をするかということだと語る小西氏。
「西洋料理を志している者にとって、ルーツが西洋の文化だとすれば、ギリシャ、ローマが源です。そのギリシャ、ローマを起点に考えた場合、富山と東京の距離は誤差のうちにも入りません」。富山で西洋料理をやっている調理人自身が、東京や大阪に比べて「地方」だからとマイナーな意識を持つことはおかしいとも強調します。
「インターネットで世界がつながり同時に動いている時代には、地方だからとか、マイナーな意識はナンセンスです。ヨーロッパの人が皆、自分のまちを誇りに思っているように、富山にもっと誇りをもつべきです。富山はとても恵まれている場所ですし、さまざまな文化があります。これからは、富山を直接世界中につなげることができる時代です。富山の物産を外へ売り込むことも大事ですが、理想はお客様に富山へ来ていただくことだと思います。富山の空気を吸い、富山の水を飲んでもらい、いろんなところを散策してもらう。この空間と時間こそが富山の財産。富山でゆっくり滞在して、味わってもらってこそ、初めて富山の良さが分かるのではないでしょうか。それができる可能性に満ちたまちだと私は思うのです」
富山の西洋料理の発展にも期待が高まりますが、富山のまち自体に私たちがもっと誇りと自信を持つことこそが、未来への扉を開く鍵になるのかもしれません。
社団法人全日本司厨士協会 富山県本部
事務局 〒930-0004 富山市桜橋通り3-1 電気ビルレストラン内
TEL・FAX:076-432-4367
▼URL
「司厨士とは」
奈良・平安の昔から、食事を調理する所を「厨(くりや)」と呼び、「厨を司る人」、つまり料理人は「司厨人(しちゅうにん)」と呼ばれていました。その後、明治、大正、昭和の時代になり、世界各国を結ぶ交通機関として活躍した艦船や商船で、料理を担当する者や給仕をする者(ボーイ)を総称して、「司厨士(しちゅうし)」と呼ぶようになりました。これに由来して、協会では主に「西洋料理」を専門に従事する料理人を「司厨士」と呼んでいます。