当所は、平成24年11月5日から8日間、イタリア産業経済視察団(団長/犬島伸一郎当所会頭)を派遣した。
今回は、欧州債務危機で深刻な影響を受けているイタリア経済の情勢や、世界遺産を活用したまちづくり等を中心に視察。古代ローマ帝国の時代から様々な歴史を遺す首都ローマから、今年4月に開業した新高速鉄道「イタロ」で港町ナポリへ向かい、火山の大噴火で一瞬にして死の灰に閉ざされたポンペイ遺跡へ。そして世界遺産を活かしたまちづくりに取り組んでいるアルベロベッロ等を回り、11月12日に帰国した。
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長靴の形をした国として知られるイタリアは、南ヨーロッパに位置する共和国であり、フランスやスイス、オーストリア、スロベニアと国境を接している。人口は約6千万人で、面積は日本の約5分の4(約30万I)ほどである(日本からイタリア(ローマ)へは直行便で約12時間。時差8時間)。
イタリアは四季がはっきりしており、日本の気候とよく似ている。私たちが訪問したローマは、函館市と同じ北緯42度であるが、地中海性気候が影響し、冬でも比較的暖かい。
イタリアの産業では、ミラノやトリノ、ジェノバなど北部地域は自動車産業を主とする工業化が進んでいるが、一方で、今回訪問したアルベロベッロなど南部地域は農業や観光が主要産業である。
ローマ・ヴァチカン市国
最初に訪問した都市ローマは、イタリアの首都。イタリアの統一に伴い、1871年にフィレンツェから首都が移された。
フィウミチーノ空港(通称Tレオナルド・ダ・ヴィンチU空港)から街なかに向かって整備されている幹線道路沿いには「カラカサ松」と呼ばれる大きな松の木が植樹されている。このカラカサ松は、昔、戦地に向かう兵士の暑さを和らげるため、軍用道路沿いに植えられたものである。現在、街なかで見られる「カラカサ松」は、ムッソリーニ時代に植樹されたものである。
ローマの街なかは、パークアンドライドが実施されており、許可された車両しか街なかに入ることができないが、それでも街なかを走る車は多く、慢性的な渋滞が続いていた。
◎大規模な太陽光発電パネルを視察
ローマ市の北西部に位置するヴァチカン市国は、世界最小の主権国家であり、国の面積は0・44Iで人口は793人である。
同国では、ローマ法王が一般謁見を行う「パウロ6世ホール」の屋根に取り付けられたT太陽光発電パネルUを視察した。
このホールの屋根(5千I)には、ドイツの企業「ソーラーワールド」が寄贈した太陽光発電パネルが設置されており、年間300メガワットの電気を発電することができ、同ホールや隣接する施設の電気を賄っている。なお、パネルの設置費用は、日本円に換算して約1・5億円。
私たちは、実際に同ホールの屋根の上にあがり、パネルを取り付けた技術者から設置の経緯などについて説明を受けた。ホールの屋根は波を打ったような形状をしており、その上に2400枚のパネルが規則正しく並べられ、見た目はとても美しく、大変見応えがあった。また、パネルは太陽の軌道に合わせ、南側を向いて設置されているが、その反対側(北側)には、アルミ板が取り付けてある。このアルミ板は、発電能力を下げる原因とされる紫外線を吸収する効果があるとともに、サン・ピエトロ大聖堂からの眺めが、みすぼらしいものであってはならないとの配慮から設置されたものである。
この視察を通して、世界最小国が、環境問題に関する、このような大きなプロジェクトに取り組んでいることを知った。
この後、ミケランジェロの作品が多数収蔵されているカトリックの総本山「サン・ピエトロ大聖堂」や「システィーナ礼拝堂」を見学した。
◎ジェトロ温井所長のレクチャー
ローマでは日本貿易振興機構(ジェトロ)富山事務所長を歴任し、現在、ミラノ事務所長を務める温井邦彦氏にお越しいただき「イタリアの政治・経済動向」について資料を交えてレクチャーいただいた。
◎伊日財団バッターニ会長と懇談
今回の視察で、富山と縁の深い伊日財団のウンベルト・バッターニ会長と懇談することができた。同会長は元外務次官・ドイツ大使で、現在、シチリア振興公社の会長等も務めている。
懇談会では、犬島会頭からバッターニ会長に対し、(社)富山県薬業連合会が進めているイタリアの製薬工業会とのビジネス連携への支援や、富山市が要望しているガラス造形作家の指導者派遣の実現に向けて協力を求めた。また、当所が市と連携し、本年度よりスタートさせた「とやまクッチーナ イタリアーノ」事業の概要も紹介した。
バッターニ会長は、医薬品業界の連携に関し「イタリアにも有能な製薬会社が幾つもあり、能力のある日本の企業と連携することで世界の覇者になることも可能だろう」と語った。また、ガラス造形作家の指導者派遣に関しては「日本とイタリアでは製造工程が異なるため、派遣したベネチアングラスの師匠が戸惑うこともあるだろうが、前向きに検討したい」とした。最後に伊日財団が設立10周年を迎え、来年7月にタオルミーナのギリシャ劇場にて、歌舞伎を上演することが紹介され、富山からも是非お越しいただきたい旨のお願いもあった。
◎新高速鉄道にてナポリへ
ローマの視察を終えたあと、今年4月に開業したばかりの新高速鉄道「イタロ」で次の訪問地ナポリへ向かった。イタロは、フェラーリなどイタリアの有力企業によって設立されたヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ(NTV)社が運営している欧州初の民間高速鉄道で、ローマ〜ナポリ間を約1時間で結んでいる。将来的にはトリノ、ベネチア、サレルノの各都市まで運行する予定でイタリアの観光振興の起爆剤として期待されている。
フェラーリ風の赤色を基調とした車両は、空気の抵抗感などを考慮し丸みを帯びた斬新なデザインで、レザーを用いた座席は大きくゆったりとしているが、座席が固定されているため、日本の電車のように進行方向にあわせ、自由に回転することはできなかった。
ナポリ
「ナポリを見ずして死ぬな」と言われるように、ナポリは風光明媚な土地柄であり、日本では世界三大夜景(函館、香港、ナポリ)の一つとしても知られている。
ナポリの街は、古代ギリシャ人によって築かれた都市であるが、その後、ローマ帝国やフランスなど度重なる外国の支配によって、ナポリ独特の文化が育まれた。
◎雑然とした街並み
ナポリ中央駅からバスでナポリ商工会議所へ向かう際、車窓からナポリの街並みを見学した。街のあちらこちらで地下鉄の建設工事が進められていたが、遺跡の発見で、工事がストップしている個所もあるとのこと。また、街かどでは、青空市場が開かれており、古着などを販売する市民の活気ある姿が見られたが、一方で、街の片隅にゴミらしきものが山積みされており、雑然とした街でもあった。
商工会議所へ向うためバスを降りようとした際、激しい雨が降り出し、バスの中で立ち往生したが、その時、傘売りの少年から傘を数本購入し、濡れずに移動することができた。日本ではありえない話だが、新品と思っていたその傘は骨組みなどが変形した中古品であり、このような商売がこの地で成り立っていることも知ることができた。
◎ナポリ商工会議所を表敬訪問
表敬訪問したナポリ商工会議所は、ミラノ、ローマに次いでイタリア国内では3番目に規模の大きい商工会議所で、23万件の事業所が登録されている。同所では国際部門の代表を務めるビンセント氏ほかに応対いただいた。
ナポリには年間200万人が利用するナポリ港や、16の路線を持つカポディキーノ国際空港などのインフラが整っており、市内には1530の宿泊施設があり、10万人を収容することができる。
観光地としてはポンペイ遺跡や青の洞窟で知られるカプリ島などがあるほか、考古学博物館やカポディモンテ美術館といった国立の博物館もある。特に、考古学博物館にはギリシャ・ローマ時代の作品のほか、ポンペイ遺跡の発掘品なども収蔵されており、多くの観光客が訪れている。
産業面では、ワインやオリーブなどの食品の加工工場が集積しているほか、皮革製品や装飾品としてサンゴやカメオの加工工場もある。
ビンセント氏から「今回の訪問を契機に両商工会議所が力を合わせ、共に躍進したい」との挨拶があった。
◎死の灰に閉ざされた街『ポンペイ』
1997年に世界遺産として認定された「ポンペイ遺跡」。ポンペイは古代ギリシャの植民都市として栄えた街で、現在は住居のほか、政治を行うフォロや裁判所、浴場などが残っており、文化レベルの高い都市であったことが窺えた。
このポンペイは、西暦79年、ヴェスーヴィオ火山の大噴火で一瞬にして死の灰に閉ざされてしまった街である。逃げ遅れた多くの商人や奴隷たちは、火砕流や高熱のガスで窒息死し、その上に火山灰が積もった。その後、灰に埋まった遺体は腐ってなくなり、灰の中に空洞を残していた。発掘時にその空洞の中に骨が残っていたことから、それが苦しんで亡くなった人間の姿の跡であることが分かり、石膏を流し込み再現像を作った。現在、この再現像は遺跡内で見ることができる。
火山の噴火などが自然現象であることがまだ分からなかった時代、TポンペイUは呪われた地域として、人々に恐れられ、次第に忘れ去られていった。そして1700年代後半、土地を耕していた農民が、彫刻作品を見つけ、ポンペイの街を発見することになった。発掘当初は、掘り越したブロンズ像をコレクションとして持ち出すなど管理が杜撰であったが、その後、考古学者による組織的な発掘が行われ、ポンペイの街全体像が判明していった。
◎カメオの製造工程を見学
ポンペイは、特産品としてサルドニア貝の貝殻を使ったカメオが有名な街でもあり、同遺跡の近くにあるカメオの手作り工房を見学した。カメオとは「浮き彫り」という意味であるが、ポンペイのカメオは、石をレーザーで削るギリシャのものとは違い、貝殻を20数本のノミで彫って作り上げる貴重なものである。絵柄はギリシャ神話をモチーフにしたものが多いが、中には、花などをデザインしたものもある。しかし、サルドニア貝の漁獲量が減少してきたことや、職人の高齢化といった問題を抱えており、伝統工芸を守るため、職人養成学校の設立といった取り組みも行っているとのことであった。
マテーラ
洞窟住居群「サッシ」がある都市マテーラには、ナポリから高速道路を利用し、バスで移動した。途中、海岸線の美しいサレルノに立ち寄り、休憩をとった。今回、訪問することはできなかったが、近くには映画の舞台にもなったアマルフィ海岸があり、日本からも多くの観光客が訪れている。
◎貧しさの象徴であったサッシ地区
1993年に世界遺産として認定された洞窟住居群「サッシ」(イタリア語で石・岩を意味する)。
イスラム勢力の迫害から逃れてきたキリスト教徒たちが移り住んだことがサッシの始まりと言われている。
小作農民が生活するサッシ地区は貧しさの象徴でもあったが世界遺産認定により注目を集め、地区内にはレストランやホテルなども整備され、観光客が多く訪れるようになった。現在、サッシ地区の30%は私有財産(残りは国有)であり、700軒3千人ほどが生活している。なお、洞窟住居内の電気や水道は、そこで暮らす人が整備しなければならず、比較的所得の高い人しか住めないとのことであった。
アルベロベッロ
◎とんがり屋根のトゥルッリ
最後の訪問地アルベロベッロ(イタリア語で美しい木を意味する)。
街に入ると、畑と畑の境界線として、白い石を積み上げた石垣をよく見かけた。これは、畑から出てきた石灰岩を積み上げたものであるが、この石は農機具などを入れておく倉庫、とんがり屋根の「トゥルッリ」の材料にもなっている。
「トゥルッリ」が沢山集まったエリアは、おとぎ話に登場するようなファンタジックな雰囲気を醸し出しており、テレビ番組で紹介されたこともあって、日本からも多くの観光客が訪れている。このトゥルッリも1996年に世界遺産に認定されている。
◎バーリからローマ、そして成田へ
最終日、十字軍遠征の中心都市であったバーリの空港から、ローマのフィウミチーノ空港を経由して、日本(成田空港)に戻った。
視察を振り返って
まず、私は今回初めての海外視察ということもあり、ローマ等で見た歴史遺産をはじめとするあらゆるものに感銘を受けた。
成田空港からローマへはアリタリア航空の直行便を活用したが、往復とも客の殆どが日本人であった。イタリアへは毎年、日本から30万人もの観光客等が訪れており人気の国であることを肌で感じることができた。また、ローマ市内の観光地などには、世界各国から沢山の観光客が訪れており、その数の多さに驚いた。このような状況を見る限りでは、ヨーロッパの債務危機といった問題はあまり感じられなかった。しかし、ガイドの篠崎緑氏によれば、失業率や賃金の安さなど、イタリアは大きな問題を抱えているとのこと。実際、観光地では、イタリア人のガイドを同行させることを法律で義務づけるなど、このような施策を通してイタリア人の雇用を確保しているようだ。
また、アルベロベッロなどイタリアの南部地域にはシエスタ(午後2時から6時頃まで昼休憩として店を閉めること)と呼ばれる風習が依然残っており、観光客等にとって非常に不便さを感じさせるものであった。
そして、マテーラのサッシやアルベロベッロのトゥルッリは、生活の場がそのまま世界遺産となっており、住民と観光客が共存していくためには、観光客には住民のプライバシーを侵さないような心がけが必要であることを強く感じた。
最後に、私たちのふるさと富山県においても、世界遺産に認定されている地域や、認定を目指している地域がある。豊富な国際路線を持つ富山空港や、平成26年度末に開業予定の北陸新幹線など交通インフラも充実し、ハード面での観光客の受け入れ態勢は整いつつある。今後は、国内外からの観光客を受け入れるためのおもてなし精神を、どのように醸成するかがポイントであると思われ、今回のイタリアでの、世界遺産を活かした観光等の取り組みは大変参考になった。
報告者/中小企業支援部 経営支援課主幹 池田 哲也