富山の建築や家づくりを、102年、四代にわたり支えてきた金物店があります。鋸などの大工道具や建築資材を富山市稲荷町で販売してきた堀田鋸刃物店。代表の小林松雄さん、息子で四代目の小林博幸さんに店の歴史と、長く商売を続けてこられたその極意を伺いました。
明治44年に創業
堀田鋸刃物店は、明治44年に初代の小林音十さんが創業しました。音十さんは長野県諏訪生まれ。長野で自分が作った鋸を、富山まで売りに来ていたそうです。そのうち、富山の方がよく売れるようになったこともあり、立山町の五百石の鋸屋さんを手伝うようになりました。
やがて、音十さんは弟や、息子で後に二代目となる房雄さんを呼び寄せ、五百石の店を引き継いで、富山で独立。そのため、本名は小林ですが、かつての店の屋号を受け継ぎ、堀田鋸刃物店となっています。
富山での最初の店舗兼住居は、現在の稲荷町ではなく、北新町にありました。しかし、昭和20年8月の富山大空襲ですべてが焼失してしまいます。三代目で現代表の松雄さんは当時小学生だったため、疎開していて無事でした。また、祖母や姉も激しい空襲のさなかに五百石方面に逃げるなど、家族全員が無事でした。家族は五百石でしばらく避難生活を送ったそうです。
「五百石にいたのはわずかひと月程ではなかったでしょうか。疎開先が狭かったこともありますが、早く戻って鋸の目立てをしてほしいという大工さんたちが、家をただで建ててくれたんです」
焼け跡に家を建てて復興しようにも、大工道具がなくては何も始まらないという大工さんたちの声と行動に押されて、小林一家は、すぐに市内にもどり、今度は稲荷町での新たな商売をスタートさせました。
のこぎり1本が、大工さんの1ヵ月分の給料と同価値
初代の音十さんも、現代表の松雄さんの父で二代目の房雄さんも、商売は鋸づくりと、鋸の目立てだけを手掛けていました。すべてが手作りだった時代には、重要な大工道具である鋸は値段が高く、大工さんの給料一ヶ月分だったとか。鋸の目立てだけで十分商売が成り立っていた時代。職人は自分たちの技術に誇りを持って仕事に励んでいました。
月に何百の鋸を目立てした時代
最盛期には店に目立てが必要な鋸が何百と山になっていたとか。若い職人さんたちと目立てに打ち込んでも、1日にできるのは10〜20。とても忙しい毎日だったそうです。
「私は中学生の頃から仕事を手伝うようになり、学校に行く前に朝6時頃から1時間ほど仕事をして、学校から帰ったら、今度は目立てが終わった鋸を持って、自転車で配達に回ったものです。
父の房雄はとても厳しい人でした。仕事をするときは、あぐらをかいて何時間も座っているため、腰が痛くります。でも、立とうとすると、仕事を休むなと父が怒るんです。当時は大工さんもかなり多かった時代ですから、とにかく忙しかった。仕事もどんどん大きくなっていきました」
松雄さんは、中学校を卒業後は、父の房雄さんの勧めで富山工業高校定時制の機械科に入学。昼間は家で仕事をしながら夜は学校へ。機械が好きで、学校へ行くのが楽しみだったと話す松雄さん。4年間一度も休まず、皆勤賞をもらったそうです。
「新しい機械もどんどん作られて世の中が変わって行った時代。父の代までは鋸の目立てだけでしたが、高校で機械を学んだお陰で、私の代になってからは、大工道具や機械を幅広く販売し始め、後にはオリジナルの木工機械『小林式万能機』を販売するようにもなりました」
また、松雄さんは、高校時代に柔道を始め、8段という腕前。講道館柔道の富山県最高審議員でもあります。昭和10年生まれとは思えないとても若々しい姿は、柔道で鍛えた賜物だそうです。また、今年は奥さまの登志美さんと結婚して50年。金婚式を迎えられました。4人のお子さんに恵まれ、長男の博幸さんが、四代目として新たな時代を切り開いていこうとしています。
大工の職人技からプレカット工場へ
かつては、大工さんによる現場での手仕事がほとんどだった家づくりも、四代目の博幸さんが入社した20年前には、家づくりは大きな転換期を迎えていました。
「住宅会社さんが、木材を一括してプレカット加工し、現場では組み立てていくという現在の工法が始まった頃ですね。当社でも、個々の大工さんや工務店向けの木工機械などの販売から、今度はプレカット工場用の全自動の機械も納めるようになっていきました」
そして、現在、堀田鋸刃物店では、県内外の住宅メーカーと契約し、家を建てるために必要なボルトや釘などの建築金物や資材を、一軒一軒ロスがないよう一式セットにして納品しています。住宅会社にまとめて納品することもあれば、住宅の建築現場に直接配達する場合もあるとか。
「現場に行けば、大工さんや職人さんと対話ができますし、そこからまた新たな工具や機械をご提案したりといった、良い循環が生まれます。やはり、現場のニーズを知ってこそ、他社よりいち早く、良いご提案ができると考えているのです」
博幸さんは、一旦、ファッション業界の会社に就職しましたが、その後、建設や土木の現場で約4年間修行を積みました。いずれは家業を継ぐことになっていたため、やはり、現場を知ってこそという思いがあったからだそうです。
博幸さんは、他社に先駆けてお客さまの需要を掘り起こす抜群の営業センスの持ち主であり、業界内で新しい道を次々と切り拓いてきました。
CADと木工機械を連動させた全国初の機械の開発と導入を実現させたのも、博幸さんでした。独自の人脈とネットワークで、全国津々浦々をまわりながら様々な経験を積み、学んで来たそうです。
高品質と信頼を第一にして
博幸さんは同社では、何より、信頼されるメーカーの高品質の商品をお客さまに提案することを大事にしていると語ります。
「例えば、少し値段が高くても、その金物や釘を使うことで、より信頼度の高い家となり、また、工期も短縮できるといったご提案ですね。当社では厳選したメーカーの高品質の商品を基本として販売しています。
私がいつも言っているのは、その品物やご提案は、家を建てる施主さまのためになっているか、ということなんです。当社が100年以上続いてきたのも、長い目で見た、品質と信頼を大切にし、フェイス・トゥ・フェイスで、職人さんや風土に合ったご提案をしてきたからこそ。それができるのが何より当社の強みです。お客さまと施主さまの幸せのためになるご提案を、これからも続けて、さらに次の100年を目指していきたいと考えています」
現在は消費税アップ前の駆け込み需要で住宅の着工件数は増えていますが、その後の対応をどう考えるかが重要と話す博幸さん。機械の省力化も進み、新築住宅の着工件数が今後減って行くなかで、これからが正念場と語ります。若手経営者が協力し合い、統一した管理システムで商品を販売する、あらたなネットワークも検討しているとのことでした。
鋸から、全自動のプレカット工場用の機械まで、幅広く取り扱う堀田鋸刃物店。信頼のお付き合いと、一歩先駆けた提案で、新たな時代への飛躍が期待されています。
堀田鋸刃物店
富山県富山市稲荷町2丁目2-23
TEL:076-433-2727
●歴代代表
明治44年 初代の小林音十さんが創業
二代目 小林房雄さん
三代目 小林松雄さん
四代目 小林博幸さん