会報「商工とやま」平成26年2・3月号

誌上講演会「まちづくりセミナー」
日本一元気な商店街〜商店街活性化の取り組みを学ぶ〜
まちづくりの挑戦・参加型イベントを展開し まちに人を呼び込む

 佐世保市させぼ四ヶ町(よんかちょう)商店街協同組合理事長 竹本慶三氏


 私はただのまちのバッグ屋のおやじです。そして、仕事のうち8割は商店街のためのボランティアを続けているような感じです。

 この中で佐世保に行ったことがある方はいらっしゃいますか。ありがとうございます。3名ほどいらっしゃいましたね。では、ハウステンボスに行ったことがある方はいらっしゃいますか。増えましたね。佐世保には行ったことがないと言われる方が多いのですが、実は、ハウステンボスは佐世保市にあり、町名はハウステンボス町という所なのです。


佐世保の概要


 佐世保市の人口は、約26万人で、一般財政は1000億円程度、長崎県では第2の都市です。まちなかから車で10分で、西海国立公園、九十九島という素晴らしい自然の景観があります。多分、松尾芭蕉が佐世保に先に来ていたら、「ああ松島や 松島や」ではなくて、「ああ佐世保や 佐世保や」と言ったはずだというくらいです。冬場には、カキの養殖が盛んなことから、第三セクターの西海パールシーリゾートが主催する「九十九島かき食うカキ祭り」が開かれます。U字溝に炭火を入れ、上に網を敷いて自分で焼いて自分で食べるというイベントで、観光バスが何十台も来ます。また、ハウステンボスは、一番多いときには年間約800億円の収入がありましたが今は600億円強。しかしながら最近は上昇気流にあります。

 佐世保が最も他のまちと違うのは、基地のまちであるということです。米海軍のほか、海上自衛隊、陸上自衛隊があり、さらに海上、陸上自衛隊両方の教育隊もあります。これらの経済効果は約1000億円と言われています。

 最近は佐世保バーガーが有名で、私はよく、「バーガーの取材があるから、竹本さん、中年の酔っぱらい役で出演して」と、テレビ局に頼まれて、夜の11時くらいに「佐世保じゃね、ラーメンを食べる代わりにハンバーガーを食べてるよ」「すしを持って帰る代わりにバーガーを持って帰るよ」と言ったりしています。佐世保バーガーは夜中に食べてもおいしいです。ぜひ来てください。

 佐世保のまちは、明治のはじめまでは人口が5000人ほどでした。そこに東郷平八郎がやって来て海軍鎮守府と海軍工廠が置かれ、海軍のまちとして、5000人の人口があっという間に6万人になり、村から一足飛びに市になったのです。去年が市制110周年でした。

 まちなかには大勢のアメリカ人が歩いています。まちの真ん中にスターバックスがあるのですが、そこのオープンカフェでは外国人の皆さんが普通にコーヒーを飲んでいます。それを格好いいなと思って横目で見ながら歩くという雰囲気のまちです。


商店街が変わるきっかけ


 私どもの商店街は、四ヶ町商店街といいます。四つの町から成っている商店街なので四ヶ町商店街です。隣に三ヶ町商店街という三つの町から成る商店街があり、合わせて七つの町を中央商店街と言っていますが、それが1キロにわたって一直線に、11メートル幅のアーケードでつながっています。

 佐世保のまちで、本当に黙っていても売れていた商売に激震が走ったのは、1997年のことでした。郊外の7キロ離れたところに、延べ床面積2万6000平米のジャスコが出店することになったのです。

 私は青年会議所に入っていて、長崎県の会長までさせていただいたおかげで日本全国のまちを見て回る機会が何度もありました。その際に大型店が進出して駄目になったまちも数多く見てきました。その経験から、これは大変なことになる。黒船襲来だ。何とかしなければいけないという思いで、商店街の役割をもう一遍考えてみようと、皆と話し合いを始めました。

 商店街の役割は三つあるといいます。一つは「経済的役割」、物の売り買いをする場所です。

 二つ目は「社会的役割」、人が出会う場所です。人は人と出会うことに喜びを見いだします。「まちに行こうぜ」と、まちで人と会うのが非常に楽しみなのです。

 三つ目が「文化的役割」で、情報を発信する場所です。いいまちにはいい祭りがある、それも市民参加型であるということです。

 それまでは、私どもは「経済的役割」だけでよかったわけです。中元売り出しをする、歳末売り出しをする。ガラポンをやればお客さんは来てくれました。しかし、果たしてそれでいいのか。ジャスコが郊外に160億円という売上目標で来られたときに、品物勝負・値段勝負で勝てるのか。物量で勝てるのか。そう考えたときに、「経済的役割」で値段勝負をして売り出しをするのではなく、「社会的役割」「文化的役割」を念頭に置いて人を集めよう、そして賑やかさをつくろうではないかという発想に至りました。

 人を集めるのに一番簡単なのは、イベントやお祭りをすることです。そこで、イベントをやろうということになったのですが、私が最初から言っていたのは、「イベントをやったからといって売上は増えない。お客さんたちは、買い物袋を持ってイベントを見ないよ」ということです。

 大事なのは、そこに活力が出ること、元気が出ることなのです。実行委員会のメンバーも研究します。先輩は後輩に教え、後輩は先輩から教えを請い、どうしたら市民の皆さんに喜んでいただけるのかをとことん議論する中で活力が出てくるではないか。要するに、人づくりなのです。そうすることによって、まちづくりにとって一番大事な、根っこができる。まちが大好きになり、まちを愛する人たちがどんどん増えてくるということです。

 おかげさまで、イベントを十何年続けてきて、佐世保のまちがますます好きになりました。佐世保の宝物がたくさん見えてきました。


「きらきらフェスティバル」


 イベントをやろうと決めたわけですが、では資金をどうするか。たまたま市の補助金があったのです。イベントをやるなら、あなたたちも50万円出しなさい。そうすれば50万円補助金を出しますよ。それで100万円のイベントができるでしょう。二つの商店街が一緒にやるならば150万円出しましょうというものでした。

 そこで、私ども四ヶ町商店街は、隣の三ヶ町商店街に相談に行きました。「あなたたちも150万円出しましょうよ。われわれも150万円出すから」。玉屋デパートにも、「おたくも150万円出してよ。運命共同体でしょう」と。今までは、「バッグの竹本」で、三ヶ町のバッグ屋さんとの戦いをしていました。バッグの竹本と玉屋デパートのかばん売り場の戦いをしていました。でも、これから先は、個の戦いではなくして面の戦いになるのだ。中心商店街と郊外の大型商業集積の戦いになる。手を組みましょう、150万円ずつ出しましょうよと説得して、四ヶ町、三ヶ町、玉屋、行政がそれぞれ150万円ずつ出して、合わせて600万円の資金を最初に作りました。

 次に、さあ、600万円のお金がある。どういうイベントをやろうかと、いろいろ考えました。そして、四ヶ町商店街と三ヶ町商店街のちょうど中間点に島瀬公園という公園があって、その前に玉屋デパートがあります。そこを使って何かやろう。阪神・淡路大震災の後に始まった神戸のルミナリエ。光というのはいいよね。人の心を温かくするよね。では、まちの中を光で飾ってしまおう。まちをきらきらさせよう。まちをきらきらさせるから「きらきらフェスティバル」だということになったのです。

 そこからは次々とアイデアが出てきました。「きらきらフェスティバル」だったら、クリスマスか。クリスマスだったら、サンタクロースか。サンタクロースだったら、サンタ郵便局なんかいいよね。郵便局をログハウスで造ってしまおうか。ログハウスを造るなら教会にしようよ。また、公園の真ん前にある美術館の壁面(縦27メートル、横37メートル)に光の絵を描いてしまおうなどいろいろな良い案がでました。

 しかし、予算が1000万円になってしまったのです。それも電気代が幾ら掛かるか分かりません。役所の方であれば、「1000万円は無理。600万円の予算に落としなさいよ。これは駄目、これも駄目」と言ったでしょう。しかし、われわれは商売人です。「われわれは経済人だ。それなら、1000万円を600万円にするのではなく、600万円を1000万円にする方法を考えようよ」ということで考えたのが、俗に言う広告宣伝費、協賛金です。

 しかし、佐世保に来るお客さんの読む新聞に折り込みを入れようと思うと、2色刷りにしても100万円くらい掛かってしまいます。ただでさえ予算がないのにどうしようかということで、それでは、パンフレットを3000部だけ刷って手配りしようということになりました。

 もうこうなると宣伝広告費と言えるかどうか、一軒一軒総当たりです。「先輩、今までわれわれはあぐらをかいていました。殿様商売をしていました。郊外に大型店が出てきます。そうなると佐世保の顔である四ヶ町が駄目になってしまう。佐世保のまちを元気にしたい。まちをきらきらさせる『きらきらフェスティバル』というものをやりたいのです。どうぞ企業として応援団になってください」と、企業応援団という形でお願いしていきました。

 たった3000部、2色刷りのパンフレットに載せる細長い広告を、幾らでお願いするか。西肥バスには10万円、自転車屋さんには5万円でお願いしました。一軒一軒お願いしていって、これだけで470万円集めました。

 そしてもう一つ、市民応援団というものを考えました。「あなたの1000円でイルミネーションが2個つきます。市民応援団になっていただくと、メーン会場に設けたスペースに、われわれは『きらきらフェスティバル』を応援している市民応援団ですと、お名前を書き入れます」とお願いしました。そしてその証しに、バッジを用意して、差し上ることにしました。バッジの柄は毎年変わります。1個300円でできますから、1000円頂いて1000人の市民応援団を作れば、自助努力で100万円集まって、70万円のイベント代ができてきます。イベントが終わった後にはおかげさまで今年も「きらきらフェスティバル」を開催することができましたと、必ずお礼状を差し上げます。

 皆さんは、市民応援団で大事なことは何だと思われますか。確かにお金を作ることも大事ですし、話題性をつくることも大切なのですが、一番大事なのは、このイベントは行政や会社だけでなく、自分たち市民一人ひとりが作っているのだ、私たちも参加しているのだ、関わっているのだという意識です。


フェスティバルで行われるイベント


 「きらきらフェスティバル」は11月の第3木曜日からスタートしますが、私どもはスタートから12月末までの毎週土・日に、何らかのイベントを仕掛けています。

 昨年の例で言いますと、11月15日は「点灯式」で、佐世保市消防局の音楽隊にお願いして、まちの中をパレードして会場まで来てもらい、ファンファーレとともに点灯した後、演奏会をしてもらいました。市の消防局ですから、費用は掛かりません。

 また、「島瀬牧場大ピクニック大会」は、島瀬公園のイルミネーションの下でのバーベキュー大会です。商店街の人が焼くと保健所の許可がいるので、自分たちで焼いて楽しみましょうということにしました。他にも「花屋さんのクリスマス鉢植え教室」やローカルヒーローの「ジャスターショー」、外国人の方が多くいるというまちの特色を生かした「英語で大カラオケ大会」や「大道芸コンテスト」などいろいろ行います。

 圧巻なのが12月5日に行われる「きらきらチャリティ大パーティ」です。パリのエッフェル塔の下で1万人のパーティがギネスブックに載っているということを知り、直線1キロで全部屋根がある商店街を利用してここにテーブルを並べて大乾杯パーティーをやってギネスに挑戦しようというものです。参加費を1人1000円としたらどうだろう。それで1000万円のお金ができる。5000人でも、500万円入ってくる。準備費用はせいぜい200万円くらいだから、それで300万円のイルミネーション代が捻出できるという、取らぬ狸の皮算用をしました。

 実際には、現実的なところで会議用のテーブルを二つ並べて、1ブース(36人)3万円の場所代でお貸しすることにしました。5500人のパーティです。われわれが用意するのは、会議用のテーブルと乾杯用のビール、ワイン、ジュースだけで、あとは持ち込みです。お花見と同じように、イルミネーションを見ながら自分たちで持ち込んで飲むというのもあってよいではないかという発想です。アーケードの中を1人でビールを飲みながら歩くと、市民の皆さんからひんしゅくを買いますが、5000人でやればイベントです。

 これも17年続けていて、今年で18年目です。大体3000〜4000人集まりますので、300万〜400万円集まります。経費を引いても200万円くらい自助努力でお金ができるということです。

 最近はこれに「仮装大会」を仕掛けていますので、まるでハロウィンのような雰囲気になっています。また、パーティに合わせて「きらきらYosakoi」も行っています。

 さらに、12月8日の「TOMODACHI HUNTING」は佐世保らしい企画で、米軍にお願いして兵隊さん50人くらいにまちなかに来てもらって目印を付けてもらい、小学生を300人ぐらい集めて英会話をしてもらうのです。英会話が成立したらカードがもらえます。そのカードをたくさん集めましょうという、たったそれだけのイベントです。

 その日はまちなかで英語が飛び交います。子供たちは大喜びしてカードを集めて回り、まちなかの賑わいをつくります。これもほとんど費用はかかりません。

 「きらきらウェディング」は、イルミネーションの下で結婚式を挙げてもらい新しいカップルの門出を皆で祝おうと考えたものです。予算は10万円しかありませんでした。でも大丈夫です。友達の貸衣装屋に仏滅の日にただで衣装を借りてきて、クリーニングして返せばいいのではないかと思いついたのです。

 広報は、佐世保セントラルホテルに商店街の理事がいて、「『九州ウォーカー』でホテルの宣伝をするから、下の方に書いておくよ」と言われたのでお願いすると、熊本、福岡、佐賀、佐世保から4組の応募がありました。4組ではさすがに予算が足りないと悩みましたが、何とか知恵を絞って、違う美容室、違う貸衣装屋さんにお願いして、4組の結婚式を行いました。

 ただ、最初はハウステンボスの牧師にお願いして正式なものにしようと思っていたのですが、1週間前になって、その牧師が上司から許可が出なかったと言ってきたのです。お坊さんでは「きらきらフェスティバル」には似合いません。それでひらめいたのが人前結婚式です。佐世保市長に「全国から4組も来て結婚式を挙げるのです。佐世保市民の代表である市長に立会人になっていただかねばなりません。お願いします」と直談判をして立会人になってもらいました。

 これもずっと続いていて、もう20組以上になっています。「貧しくて結婚式が挙げられなかった」という方や、「駆け落ち同然で結婚式ができなかった。でも、お母さんの具合が悪くて、できれば晴れ姿を見せてあげたい」という方もいらっしゃいました。その結婚式では、お母さんは車いすでお見えになって、涙、涙で本当に素晴らしい式になりました。2週間後にお亡くなりになられたのですが、心から喜んで逝かれたとお聞きして、本当によかったと思いました。今年もまだ募集中ですので、結婚のご予定がある方で、佐世保まで来られる方は、ぜひともご応募ください。旅費は出ませんが、ただで結婚式が挙げられます。

 それから「大書道大会」や「ジャズフェスティバル」もあります。佐世保はジャズのまちで、まちかどにずっとジャズが流れているのです。「サンタクロース大集合」は、サンタクロースがアーケードの向こうから100人くらいどっと来たら楽しいねと。ただそれだけなのですが、大賞には商店街の商品券を3万円とか5万円あげるよということにすると、今はサンタクロースの衣装も数百円で買えますから、衣装をアレンジするなどして簡単に楽しめると、大勢の人が参加してくれるようになりました。たくさんのサンタクロースにあめ玉を配ってもらって、集まった市民の皆さんにも楽しんでもらっています。

 それから、「キャンドルを灯そう」。これは、クリスマスツリーをキャンドルで作ってしまおうというものです。あなたが自分で火をつけてください。幸せになりますよというと、チャリティで、1本500円で家族連れや親子、カップル、いろいろな人たちが火をかざして、ろうそくのクリスマスツリーを作ってくれます。

 それから、佐世保は富山と違い、雪が2センチ積もることが年に1回あるかどうかというところです。10センチ積もると大パニックで、誰もスタッドレスタイヤなど持っていませんから、みんな車を道に置いて帰るので、大渋滞になってしまいます。それくらい雪が珍しいので、子供たちに雪を見せたいと思って、業者に手配して人工雪を降らせました。人工雪の広場を作り、かまくらを作り、すべり台を作って、子供たちを雪だるまで遊ばせます。もう大喜びです。

 そんな話をしていたら、青森の新町商店街の加藤君というまちづくりの仲間が、「俺が本物の雪を送ってやるよ」と言ってくれたのです。650キロの雪を航空便で、代金も加藤君持ちで送ってもらいました。

 でも、お返しするものがなくてどうしようかと思っていたら、ゴールデンウィークに弘前城の桜祭りに対抗して、「AOMORI春フェスティバル」をやるというので、佐世保からよさこいのチームを連れていくことにしました。安請け合いしたところまではよかったのですが、ゴールデンウィークには青森まで行く安いパックツアーがないのです。仕方がないので、お金を持っていそうな暇そうなお母さんたちにお願いして15人集めて、青森まで車に乗って1泊4日というツアーで行ってきました。そんなことを繰り返しているうちに、加藤君が気の毒に思ったのか、「今までのお礼に本物の中型ねぶたをやるから取りに来い」というので、11トン車で青森に行って運んできて、まちの中に3カ月間、透明のテントを建ててライトアップして、皆さんに見せることができました。このような交流も、いろいろなイベントをやることによってできてきたということです。

 それから「サンタプレゼント」は、商店街やデパートで買われたクリスマスプレゼントを、1個500円で青い目のサンタが自宅までお届けするというものです。米軍基地のおじさんが、ボランティアで手伝ってくれています。

 「クリスマスマルクト」は、いわゆるクリスマス市場です。単なるイルミネーションだけでは楽しくないとよく言われたので、雑誌に出ていたドイツのクリスマスマルクト・ツアーに、商店街の10人が自腹で参加して本場を見てきました。11月中旬からクリスマスまで、ドイツとフランスでは、教会前広場や市役所前広場に市が立って、そこに大道芸や移動遊園地までやって来て、グリューワインや焼き栗など、いろいろなクリスマスグッズを売っています。

 それを参考にしたのが、透明テントです。テントが透明だと、雨が降っていてもイルミネーションが見られるし、憩いの場所ができます。他にもカキ焼きの店、ハンバーガーの店、ビールの店、グリューワインの店、お花の店、大道芸の店、バルーンアートの店など、1カ月半の間、ずっと賑わいを創出しています。これも今年で18回目になります。

 また、クリスマスに第九をまちの中で、市民、買い物客に歌わせたいと思いました。たまたま私がPTA会長をしていた学校の先生が、市の合唱連盟の会長さんでしたのでご相談したところ、「佐世保市の合唱団発表会を12月の第2日曜日にやるので、その日の夕方だったら手伝ってくれるよ」という話で、「市民で歌う歓びの歌」がスタートしました。これももう18回続いています。


原動力となったもの


 18年たって、今は事業費1900万円の事業になりました。よかったなと思うのは、それまで大売り出しくらいしか経験がなかった商店街の若手が、やれば夢はかなうのだ、市民を巻き込むことができるのだという自信を付けたことです。

 その大きな原動力になったのは、実は会議のやり方です。昼間の会議はパパママストア(家族経営の小売店)では無理ですし、夜は夜で皆忙しいというので、朝7時にセントラルホテルに集まって、1000円の朝食バイキングを食べながら会議を開くことにしたところ、30人くらいが集まってくれました。

 この会議は決定機関ではなく、みんなのアイデアを出す会議だから、できないと言うのはよせ。どうしたらできるかを考える会議にしようということで始めたのですが、イルミネーションの取り付け方も宣伝の仕方も分かりません。そこで、商店街という囲い込みを外して、電気工事屋さんや看板屋さん、建設屋さん、新聞記者やテレビ局の人、役所の人など、誰でもいいから分かる人を連れてくるという会議にしました。9月〜12月の間、毎月3回くらい集まったのですが、毎回20〜30人集まってくれました。この会議でゼロから形ができていき、第1回の「きらきらフェスティバル」は無事に終わりました。

 翌年は、若手から「あの朝会議は本当に面白かった。もう一回やりましょう」と言ってきたので、「若者・ばか者・よそ者夢会議」と名前を変えて会議を続けることにして、今は女性も加わった会議になっています。


「YOSAKOIさせぼ祭り」の開催


 夢会議は、最初は現実味のない話ばかりでしたが、あるときYOSAKOIソーラン祭りのビデオを見て皆が衝撃を受け、将来のスポンサーになる銀行、大学のダンス部の先生、商工会議所青年部、青年会議所、町内会のメンバーも加えた総勢34人で北海道まで行って本物を見学し、早速その年の秋の商工会議所主催の秋祭りに、2チームが出場しました。

 これで風が起こり、翌年は祭りの会場を夕方5時からただでお借りして、予算ゼロで6チームが参加して第1回ダンスバトルを実施しました。また、一番楽しいのは踊り子ですから、踊り子全員から大人1000円・子供500円の参加費をいただき、それでパンフレットを作りました。

 翌年の第2回目は16チーム、第3回目からは「YOSAKOI」と名前を変えて43チームになり、第4回目は67チーム、第5回目の市制100周年の年には102チームになり、今年の16回目は174チーム、700名の踊り子が参加するまでになりました。佐世保市内から40チーム、長崎県内から33チーム、九州各地から80チーム。北海道、青森、高知、岡山、島根、山口、広島など、全国からも来てくれます。700名の踊り子、5000名の観客で予算はゼロです。

 観光客は延べ27万人、経済効果は20億円です。そういう祭りをゼロから立ち上げたという話です。


「さるくシティ4○3(よんまるさん)」の誕生


 1997年には、ジャスコシティ大塔のオープンに合わせ、商店街でも何か対抗できないかとアーケードの一新なども考えたのですが、予算もないため、せめて名前だけでもリニューアルしようと、「さるくシティ4○3」と名前を変えることにしたのです。「さるく」とは、「ぶらぶらする」という意味で、「4○3」は、四ヶ町の4、三ヶ町の3、「○」は玉屋デパートです。玉は丸で、社長が田中丸さんというのです。

 そして、ジャスコのオープンに合わせて、市長、商工会議所会頭、議員の先生方を呼んでテープカットをしました。アーケードを架け替えたわけでもなく、色も変えていません。ただフラッグを統一にしただけです。ただ、そのテープカットのやり方を工夫して、幅11メートルではなく、商店街の端から端までの長さ1キロのテープカットをしたのです。車が通るところは物干しざおで上につないで車の邪魔にならないようにして、四ヶ町、三ヶ町、玉屋が一つになって行いました。費用はたった3万円でした。それが翌日の全国紙や全国テレビに取り上げられたのです。折り込みチラシを100枚入れても、これだけの効果はなかったと思います。アイデア一つでこのようなことができたということです。

 今、ハウステンボスはすごく元気です。ガーデニングがとてもきれいですし、これからはイルミネーションが灯されます。私どものまちも負けないようにアイデアと行動力で頑張っていこうと思っています。


※本稿は平成25年10月29日に富山県商店街振興組合が主催したまちづくりセミナー(於/富山国際会議場)の講演内容を要約したものです。




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