富山市小泉町で糀と味噌の製造販売業を営み、117年の歴史を刻む新村こうじみそ商店。同店の代表で四代目の新村義孝さんと、息子で五代目の新村弘之さんに、お店の歴史や、糀や味噌づくりを通して日本伝統の食文化を広く伝える取り組み、そして、その思いについて伺いました。
明治30年に創業
新村こうじみそ商店は、明治30年に現代表の新村義孝さんの祖父、新村伊三郎さんが創業しました。元々は、伊三郎さんの妻のハナさんの実家の新山家が、糀屋を営んでいたと言います。伊三郎さんは農業に従事していましたが、結婚して富山市小泉町に出るにあたり、新山家の家業である糀屋を受け継いだそうです。
「新山家の先祖を初代と考え、私で糀屋四代目と称しています」と話す義孝さん。記録は残っていませんが、実際には明治30年よりも、さらに古くからの伝統を受け継ぐ糀屋であることは間違いありません。
飛騨街道の宿場町だった
新村こうじみそ商店の店の前の通りには、堀川小泉の電停があります。
「現在は南富山駅が市電の終点ですが、約100年前には堀川小泉が終点でした。また、電停から富山高校への道は飛騨街道ですから、店の周辺は昔から宿場町として栄え、馬車を停めたり宿屋があったりと、大変賑わっていた場所でした」
伊三郎さん、ハナさん夫妻には男女ふたりずつ4人の子どもがいましたが、伊三郎さんは早くに亡くなったため、戦時中は長男、次男が徴兵されると、店にはハナさんと2人の娘さんだけの女所帯となりました。
「若い娘と母の3人で営んでいる店はとても人気があって、なかなか繁昌していたようです」と義孝さん。
富山大空襲で店は燃えてしまいましたが、その後、店を再建し、戦地から無事還った長男の伊義さんが商売を受け継ぎます。昭和24年には義孝さんが誕生しました。
富山は人口比で全国で一番糀屋の多い所
新村こうじみそ商店は、もともとは味噌用の糀だけを製造販売する店でした。昔、味噌は各家庭でつくるのが当たり前でしたが、やがて時代も変わり、高度経済成長、女性の社会進出などが進むと家庭で味噌をつくる人は減少。昭和40年代には糀だけでなく味噌を製造販売する店に変わっていきました。
富山市内にはかつて糀屋は各校下に1、2軒以上はありましたが、現在では激減し、市全体でも10軒あまり。富山県全体では約60軒です。それでもこの数は人口比で全国一だと言います。
「富山県麹協同組合は昭和61年に設立された全国で唯一の麹協同組合です。父が初代組合長だった頃は約120軒の糀屋がありました。いまでは半分ほどになってしまいましたが、それでも全国的にみると、まだまだ富山県は数が多い方ですね」
米どころ富山では、糀を使ったかぶら寿しなどの食文化がまだ残っていることもその理由かもしれません。
「また、味噌の味は地域性が強く、北に行くほど赤くて辛くなり、反対に南にいくほど甘く白くなります。富山県の味噌は色も味もちょうどその中間で、全国に通用するものだと考えています。これは富山県の地理的なメリットなんですね」
今後は、このメリットを生かした富山らしい商品を開発していきたいと考えているそうです。
「富山こうじの里研究会」で糀文化を全国に発信したい
義孝さんは、県内の糀屋さんや、糀に興味をもつ一般の方の10人で研究会をつくり、富山県を糀文化の発信地にしたいと活動をしています。
「ここ数年来、塩麹ブームはありましたが、ブームはやがて落ち着くもの。北陸新幹線開業を間近に控えて、富山県を実質的なこうじの里として認知していただけるよう、本物の味にこだわることはもちろん、糀に関する様々な情報を発信していきたいと考えています」
また、お店では、富山県ならではの商品を開発していきたいと検討中で、例えば薬膳味噌などの商品を開発できればと考えているそうです。
1年かけて熟成させる天然味噌
蒸した米にコウジ菌を培養したのが糀です。糀は多くの酵素を分泌し、酵素の宝庫と呼ばれ、多くの発酵食品は糀を利用して作られています。
味噌やかぶら寿し、そして甘酒にも糀は使われますが、新村こうじみそ商店では、いずれの商品も昔ながらの製法にこだわり、添加物を一切入れない天然の味を守っています。
「味噌は本来、秋に収穫した大豆を糀や塩と混ぜて仕込んでから、1年近く熟成させて完成させるものです。味噌に四季を体験させるから美味しくなるものなんですよ」
天然味噌にこだわる同店では、夏の猛暑を避けるために、富山市経力にある工場を半地下にしたり、夏でも涼しい山間の同市楡原に貯蔵倉庫を設けて本来の味噌づくりの伝統を守っているそうです。
甘酒に美容効果あり
糀とお米だけでつくる、アルコール分のない本来の甘酒は、酵素やブドウ糖、必須アミノ酸、ビタミンB群などが豊富に含まれていて、発酵食品であるためとても吸収率がよいとか。お通じもよくなり、美肌にも効果があるといいます。
味噌も、乳酸菌や酵素が活きたままのものには、健康効果が期待できます。和食を食べる習慣が薄れてくるなかで、子供たちにも肥満や糖尿病、高血圧など、成人病の症例も多く見られるようになっています。
また、最近では「和食・日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されたという話題もありましたが、日本の食文化の良さを一人ひとりが改めて認識しないといけない時代となっています。
食文化賞を受賞
同店では、多くの方に手作りの本来の美味しさを伝えようと、保存料などの添加物の入らない甘酒づくりや、味噌づくり、かぶら寿しづくりの講習会を開催。義孝さんが店を継いだ25年前から始めて現在も継続中です。工場横の手作り体験館「元気工房」を始め、地域では主に公民館などの行事として行い、毎回大人気だと言います。
こうした義孝さんの長年の取り組みで、同店は農林水産省の「フード・アクション・ニッポンアワード2013」で、見事、食文化賞を受賞しました。大企業の受賞が多い中で、唯一、地方の小さなお店の受賞は快挙です。
「まずは若い方達に糀のすごいところを知っていただき、甘酒ぐらいは自分で作ってもらえるようになってほしいというのが私の願い。富山県を糀の里として、もっとアピールしていきたいですね。最近では甘酒をもとにつくる、砂糖を使わない糀ジャムも注目を集めています。講習会などを通して、今後も、様々なレシピを提供していく予定です」
本物の食の価値を若い世代へ
五代目の新村弘之さんも、世界で日本食が注目されているなかで、欧米化した日本の食卓に、味噌や糀を通じて日本の食文化の大切さを発信していきたいと語ります。
「若い方に、手づくりとは本物であること、価格も安価でできること、さらに、活きた酵素のもつ健康や美容への効果なども合わせて伝えていきたいですね」
昔は捨てられていた古い味噌も、その抗酸化力や希少価値から高値で販売されるようになった例もあるそうです。
弘之さんは、以前東京で、俳優やタレントとして活躍していました。富山に帰郷後も富山のプロダクションに所属し、家業のほかにタレントとしてCMにも出演しています。その経験を、今後も家業や食文化のPRにも生かしていきたいと考えています。
富山がこうじの里であることを伝えるためには、まずは何より、いい商品を作ることでその良さを知ってもらいたいと話す新村さん親子。
また、体験教室など、本物の味に触れる機会を増やしていくことで、富山の独自性と伝統の食文化のすばらしさを伝えていきたいと意気込みを語ってくださいました。
食の安全性にまつわる様々な事件が起こるなかで、私たち日本人が大切にしていかなければならない日本人の体に合った本来の食とは何か。
日本の伝統食の良さが注目を集めるなかで、同店の取り組みは、富山に新たな好機をもたらすきっかけになりそうです。
新村こうじみそ商店
本店:富山県富山市小泉町1番地
TEL:076-421-6428
●歴代代表
明治30年 新村伊三郎さんが新山家の家業を継承
三代目 新村伊義さん
四代目 新村義孝さん
五代目 新村弘之さん