会報「商工とやま」平成13年12月号

立山と富山(6)

立山血ノ池と円隆寺

立山博物館 顧問 廣瀬 誠(元県立図書館々長)

 立山には八大地獄があって、大地獄にはそれぞれ別所の地獄十六があり、計百三十六の地獄が荒々しく煮えたぎり、ごうごうと噴煙をあげ、凄惨をきわめた。仏教で説くところの地獄が、この世に姿を現わしたのが立山の地獄、まさに「生き地獄」であった。

 平安時代の「今昔物語」などには、その地獄に堕ちて苦しむ亡者の話がいくつも載せられ、「日本国の衆生多く罪を造りて越中立山の地獄に堕つ」とものものしく記されている。富山呉羽山の長慶寺(五百羅漢の寺)は立山地獄谷と真正面に向いあって建つ。立山地獄の亡霊を救うために建てられた寺だという。だから地獄菩薩が寺の本尊であった。

 立山地獄の一つに血ノ池地獄があった。これは女人専用の地獄で、女性は一生の間多くの血を出し、その血が大地を汚すため、女という女はすべてこの地獄に堕ちるのだという。現代から見れば女性蔑視の理不尽、不届千万の考えだが、昔はそのように女人を罪深き存在としたのであった。

 血ノ池の仏が如意輪観音。血ノ池のそばで出土した如意輪観音の小像は、富山市梅沢町の円隆寺(三才踊の寺)に祀られているが、かつて円隆寺からいたち川を隔てた向う側にあった遊郭街の遊女たちは、この如意輪観音像をカワウソ大明神と呼び、深く信仰したという。如意輪観音がどうしてカワウソ大明神となったのか不可解だが、いたち川に昔カワウソが生息していたことと何か関係があるのであろう。

 円隆寺は天台宗だが、富山で天台の寺は円隆寺たった一つ。そして、立山信仰も明治の神仏分離までは天台宗と称してきた。その深いつながりをあらためて思うのである。

 昔、女人たちは岩峅の坊さんに頼んで「血盆経」を血ノ池に納めてもらい、現世の罪障消滅を祈ったという。立山マンダラには、そのありさまが描かれていて痛々しい。血ノ池は「手を浸すと赤く染まり、たえがたいほど熱い」と昔の紀行に書かれている。血ノ池は今も室堂高原のミクリガ池・ミドリガ池の近くにあるが、酸化鉄の作用による赤色も薄れ、冷たくなってしまった。男女同権の時代の光を浴びて、血ノ池の存在も無意味となったのであろう。円隆寺の如意輪観音もニッコリほほえんで「これでよいのです」とつぶやいておいでであろう。


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