松楓殿とは
セントルイス万国博覧会
1904年、ミズーリ州で「セントルイス万国博覧会」が開催されました。60カ国が参加し、4月30日から12月1日までの会期中に、およそ2000万人もの来場者を集めた国際博覧会です。敷地面積や参加国、参加人数など、それまでで最大規模の万博となりました。
日本館は、8棟の建物と日本庭園で構成されました。興味深いことに、この8棟の建物は政府によるものと民間によるものが混在していました。官民が協力して万博に臨むのは、今も昔も変わっていないようです。
日本館の建築様式は、「我が国の気風を代表し、大日本帝国の名声を発揮すべきものでなければならない」という方針のもと、建築が進められました。建築物の意匠や形態は、過去の伝統様式の要素を結集したもので、平安、室町、江戸と広範囲にわたりそれぞれの時代文化の粋を紹介しました。
日本館の設計は文部技師・久留正道。後に「松楓殿」となる本館等は1903年11月に材料が一式切組・荷造りされ、屋根を葺く鉄板以外はすべて日本から輸送され、工事監督の村井三吾を筆頭に大工職人16名が渡米し、12月から3月にかけて工事作業が行われました。