松楓殿とは

関わった人たち

室内装飾担当
牧野まきの克次かつじ

(1864年〜1942年)

守住勇魚もりずみいさなに洋画を学んだ後、上京して小山こやま正太郎しょうたろうの不同舎に入りました。
1901年、松原三五郎らとともに関西美術会創設の発起人となり、翌年京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)が創設されると助教授となりました。
京都で私塾を開きますが、1903年、浅井ちゅう聖護院しょうごいん洋画研究所を開設すると参加。1906年、関西美術院創設に参加します。

同年渡米し高峰譲吉別邸「松楓殿」の室内装飾を手がけます。1910~12年にはニューヨーク・リバーサイドドライブの高峰本邸の室内装飾と設計も手がけました。1918年、帰国後は東京に住み、制作からは遠ざかりました。

ニューヨーク・リバーサイドに建てられた
高峰譲吉博士の本邸
松楓の間