譲吉とキャロライン
1884年、ニューオーリンズに1年間滞在していた譲吉は、下宿先のヒッチ家の娘、キャロラインと婚約します。
1887年、益田孝と欧米へ出張した時に、二人は3年ぶりに再会し、結婚しました。当時、国際結婚はめずらしいことでした。
そして、二人は日本へ。東京人造肥料会社を設立し、日本での暮らしが始まりました。会社のある深川釜屋堀の近くの日本家屋に住み、ことばや食べ物などアメリカとはまるで違う環境に、キャロラインは、なじめなかったといいます。
その間、1888年に長男
長男が誕生した年、譲吉は、官職を辞し、