産業都市ピオリアと不運
イリノイ州ピオリアにある「ウイスキー・トラスト」からの依頼を受けて、アメリカへ渡った譲吉ですが、サンフランシスコへの船上で肝臓病を発病します。
シカゴの病院に入院し、回復した譲吉は、ピオリアに向かいました。当時のピオリアは、アメリカのアルコール生産の中心地で、シカゴをしのぐ大産業都市でした。醸造業、モルト生産業、家畜処理業などの工業が集結していました。
譲吉は製造法を確立し、工部大学校の後輩である清水鐵吉をアメリカに呼び、事業は順調に進展していました。
しかし、モルト業者の反発が起き、工場の火災事故が発生します。
譲吉は、肝臓病を再発。危篤となりますが、ピオリアには外科手術のできる医師がいません。キャロラインは、自宅の裏を走る線路に立ち、シカゴ行きの汽車を急停止させ、譲吉を病院へ運びました。
キャロラインのこの行動によって、譲吉は一命を取りとめました。