ワシントンのポトマック川沿いの桜
ニューヨークのサクラ・パーク

ワシントンとニューヨークの桜

ワシントンでは、ポトマック川に沿って、桜並木が続きます。
そして、ニューヨークにも同じ数(3,020本)の苗木が到着しました。その苗木はサクラ・パークと命名された区画に、13州(1776年独立当時の州の数)にちなんで、13本を一列とし、数十列にわたって植え付けられました。
ウッドフォード将軍は、「ハドソン・フルトン祭にあたっては、イギリス、フランス、ドイツ、オランダその他の国は、或いは軍艦を送り、或いは名将を派遣して祝意を表したが、日本は一隻の軍艦、一人の将軍も派遣せず、その代わりに、ここに桜を送ってきた。軍艦は戦争を、桜は平和を表象するものである。」とスピーチしました。

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エピソード

10

さくら、さくら編

明治時代(1909-1912)

譲吉55-58歳まで

1912年、ワシントンのポトマック川に沿って、日本から贈られた桜の木が植えられました。そのお話をしましょう。

アメリカの作家エライザ・シドモアさんが、日本にいた頃に桜に魅せられ、ワシントンにも桜を植えようと呼びかけていました。1909年、タフト大統領のヘレン夫人、日本の水野総領事、尾崎行雄東京市長なども賛同し、私もこの計画を知ることになります。

翌年1月、東京市から2,000本の桜の苗木がワシントンに到着しました。しかし、病害虫が見つかり、すべて焼かれてしまいました。

私たちは、健全な苗木をつくろうと立ち上がりました。外務大臣の小村寿太郎氏が、農業試験場長などを起用し、桜の台木に桜の枝を接ぎ木し、大切に育てました。そして、2年後、ワシントンとニューヨークに、3,020本ずつの苗木が届けられ、検査の結果、病害虫は見つかりませんでした。

そして、1912年、ポトマックでの植樹式を迎えたのです。アメリカと日本。何人もの人々が関わり、願った夢がようやくかなったのです。
桜は、2つの国の心をつなぐ象徴として、これからも咲き続けることでしょう。