松楓殿とは
関わった人たち
- 高岡彫刻漆器と松楓殿家具制作担当
村上 九郎作
(1867年〜1919年)
1904年セントルイス万博出展から松楓殿家具調度品制作へ
高岡での職を辞して金沢に戻っていた村上は、1900(明治33)年、大阪の美術商山中商会を率いる山中定次郎からの招請でアメリカを訪問、その後同商会美術部指導師範に就任しました。山中は、同商会が大阪に設立した輸出用家具工場の製品に、村上の工芸家としての卓越した技量を必要としていました。村上は大阪に移り、同商会工場長として100名を超える職人を雇用、高級家具調度品の製造を指揮しました。
1904年には、同商会がセントルイス万博に「日光式展示室にみる日本建築工芸」をテーマに様々な家具調度品を出品、最高賞及び金賞を受賞しています。同商会は、万博の翌年販売用カタログを発行していますが、松楓殿家具調度品の多くは、高峰譲吉博士がこの中から山中商会に特注したものです。